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Paris Beijing 2006



●7 もうダメだと眼をツブった 中国・ウルムチ




上り勾配の頂点の向こうから現れたトラクターに激突するのは避けられないと観念した。
 
イーニンからウルムチに向かって、新ピョウウイグル自治区の高速道路を走っている時のことだった。
 
周囲は見渡す限りの砂漠で、ところどころに簡素な建物がポツリポツリと建っているだけの原野だ。チャイナ・モバイルと記された、周囲と不釣り合いなほど立派で新しい携帯電話の中継アンテナが屹立している。おかげで、持参したドコモの国際通話対応モデルのモニター画面上のアンテナが、5本立っている。
 
中国はここ数年、猛烈な勢いで高速道路網の整備を急いでいる。総延長距離では日本を抜き、アメリカに迫る勢いらしい。
 
いま走っている高速道路も、できたばかりらしく、アスファルト舗装にはまだ油脂分が浮き出ていて、壁のコンクリートは白っちゃけたままだ。そこを走っているクルマは少なく、ほとんどが大型トラックだ。
 
トラックは非力だから上り坂では歩くように遅い。その上、ブレーキが貧弱だから、下り坂では用心して低いギアを選んで、ガァガァとエンジンブレーキ音を響かせながら下っていっている。
 
新設された中国の高速道路におけるトラック群とメルセデスベンツE320CDIのパフォーマンスの対比は鮮やかなもので、自転車レースに迷い込んだスーパーバイクのようなものである。勾配の厳しいところでは、トラックがまるで停まっているかのように見える。
 
E320CDIの高性能を認識できるはずもない中国人ドライバーを相手にするには、こちらにも細心の注意が必要だった。
 
しかし、まさか片側3車線の高速道路の、それも追い越し車線をトラクターが堂々と逆行してくるなんて想像することさえできなかった。
 
アップダウンが続くその区間では、右側通行一番右側の走行車線を、大型トラックがゆっくりと走っていた。そこへ、それより少しだけ速いトラックが追い付いたので、中央車線から追い越しに掛かった。
 
高速道路がちょうど上りに差し掛かったので、追い越しは遅々として進まない。2台のトラックの後ろから様子を見ながら走っていた僕らも、シビレを切らした。幸い、一番左の追い越し車線の前にも後ろにも、クルマはいない。
 
7速、1600回転、120km/h前後で流していたE320CDIがトラック2台を上り坂で抜くなんてワケないことだ。
 
そのままスロットルベダルを踏み込むんでいくだけで、ラクに追い越すことはできるのだが、“追い越しは、距離も時間も短く”の原則を守って、ハンドルを握っていたT氏はシフトレバーを自分の側にスナップしてギアを6速に落とした。
 
E320CDIは、微かなハミングを伴ってディーゼルエンジンの回転を上昇させ、加速を始めた。トラックに近付き、一気に追い越した……。
 
と思った瞬間、心臓が喉から飛び出しそうになった。
 
一番左の追い越し車線を、ゆっくりとこちらに向かってくるトラクターがいるではないか!

「ウエッ!?」
 
T氏と僕は、同時に短く叫んだ。
 
長い上り坂の頂点に隠れていて、見えなかったのだ。
 
ブレーキを掛けたが、間に合わない。中央車線には、いま抜いたばかりの大型トラックが来ているから戻れない。追い越し車線には、後続車も迫って来ている。

「なんとか、避けてくれっ!」
 
T氏はヘッドライトをパッシングし、ホーンを鳴らした。
 
正面衝突だけは避けるべく、T氏はルームミラーで後続車との車間距離を測りつつ、ジンワリとブレーキを掛けていった。
 
しかし、トラクターが僕らのクルマと大型トラックに気が付いたとしても、いまから路側帯に戻れるスピードと時間を持っているとは思えない。
 
こうして書くと、とても長い時間が流れていたように思われるかもしれないが、10秒以下の短い間のできごとだったのである。
 
可能な限り減速したら、追い越したはずの大型トラックが、もう真横に並んで来ている。右には行けない。こっちが見えているはずなのに、トラクターは変わらぬペースでトコトコとこちらに向かってきている。

「もうダメだっ!」
 
それでもT氏はE320CDIを右のトラックにギリギリに寄せ、トラクターと衝突する面積を少しでも小さくして被害を最小限に減らそうと最後まで努めた。
 
ビュンッ。
 
奇跡的に、E320CDIはトラックともトラクターとも、衝突はおろか接触すらすることなく、走り抜けることができた。

「いまの見たっ!?」

「あいつ、ギリギリでハンドル切って乗り上げたでしょ!?」

「切った! 切った!」
 
トラクターの運転手が、近付いて来るE320CDIを見て、ニヤッと笑みを浮かべながらハンドルを内側に切ったのだ。
トラクターはヒョコンッと中央分離帯に乗り上げ、その分だけ追い越し車線へのボディのハミ出し量がなくなり、窮地を脱することができた。

「なんか、あいつ、全然あせっていなかったよね」

「うん、眼が合ったけど、余裕の表情だった」
 
トラクターのドライバーには、すべてが見えていたに違いない。
“遠くから疾走してくるE320CDIが大型トラックを抜きに掛かるだろうが、こちらを見付けて彼らは慌てるだろう。でも、ギリギリ大丈夫。こっちが中央分離帯にちょっとだけ乗り上げてやるだけで、全然問題ないサ”
 
トラクターのドライバーは、そんな心づもりだったのではないだろうか。僕らは、そんな想像をしながら無事を喜んだ。
 
大袈裟ではなくて、ホンの数センチどちらかにズレていたとしてもブツかっていた。
 
でも、どう考えても、あのトラクターのドライバーには、すべて見透かされていたとしか思えない。そうでなかったら、あの微笑みはないはずだ。偶然避けられたとしたら、よほど肝の据わった男なのだろう。
 
いずれにしても、おそるべしは、中国人。僕らとは、まったく違った価値判断でクルマに接しているとしか思えない。
 
トラクターも、よく考えてみれば、どこからやって来たのか不思議だ。有人の料金所でチケットを受け取って、入ってきたのか。
 
中国の高速道路には、トラクターだけでなく不思議なものとよく遭遇する。これも、西の外れの新ピョウウイグル自治区の同じ高速道路を走っていた時のことだ。
 
真新しい高速道路の外は、黄土色の砂漠と岩山が地平線まで続いている荒野。土と岩の色こそ違えども、アメリカのアリゾナやユタのデザート地帯と良く似た景観のところだった。遠くには、野生のラクダが群れをなしていた。
 
周囲に人っ気のないところを貫く高速道路の路肩の何十kmかおきに、ポツンポツンと清掃人がいて、竹ボウキでセッセと道を掃いているのだ。
 
初めは、何かの道路工事が終わった後片付けをしているのだと見ていたが、これが違った。ほぼ規則的に、ポツンポツンッと立って掃いているのだ。
 
クルマで走ったって、こんなに長いところを、いったい、いつまで掃いているつもりなのか?
 
掃くのはいいけれど、掃き開始の部分はすぐに砂塵まみれになってしまうのではないか?
 
そして、この人たちは、ここにどこからどうやって来て、どこまでどうやって帰っていくのだろうか?
 
同じ高速道路には、ペットボトルを集めている人もいた。
 
こちらも数十kmおきにひとりづつ、巨大な布袋を背負って、その中に路端で拾ったペットボトルを詰め込んでいっているのだ。
 
こちらのトラック・ドライバーが、飲み終わったペットボトルを、ところ構わず窓から捨てていくのを何度も目撃した。きっと、リサイクル業者に売れるのだろう。
 
拾ったペットボトルで、自分の身体の何倍もの大きさに膨れ上がった布袋を背負って路側帯を歩く人の満足気な表情が忘れられない。いい稼ぎだったんだ。日焼けなのか、顔を洗っていないのか、おそらくその両方なのだろう。真っ黒な顔が笑うと、白い歯が鮮やかだった。
 
秋の陽は短く、すぐに暗くなる。遠くからでもよく目立つ矢印の電光掲示板が、高速道路の先で点滅していた。幅2メートル、高さメートルはある大きな矢印は右を差しており、追い越し車線にいくつも設置されていた。高速から下りて、一般道を走れというわけだ。
 
しかし、インターチェンジのようなものがない。いきなり、高速道路がなくなって、すぐ横の地面からなんとなく“生えて”いる一般道しか道がない。国内外でいろいろなところを走ってきたが、こういう終わり方は初めてだ。
 
終わり方?
 
インターチェンジもなければ、料金所もないということは、“終わって”はいないわけだ。つまり、未完成の高速道路を走ってきたことになる。どうりで真新しかったわけだ。

「完成していないが、せっかく作り終わったところをそのままにしておくのはもったいなから、注意しながら走らせよう」

「そうだ、そうだ。意義ナシ!」
 
そんな中国共産党高速道路管理当局の会議が思い浮かんでくる。トラクターや竹ボウキ掃除人、ペットボトラーなどの存在にも合点がいく。ということは、そんな未完成の高速道路での僕らの振る舞いこそが責められて然るべきものなのだ。大目に見てくれたトラクター・ドライバーの微笑みに、感謝しなければならない。失礼しました。謝々!