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Paris Beijing 2006



●4 昔のSF未来都市 カザフスタン・アスタナ



ダイムラー・クライスラーの「Eクラス・エクスペリエンス パリ北京2006」
(以下、パリ北京2006)は25日間を掛けて、E320CDIで移動しながら、
フランスのパリから中国の北京までユーラシア大陸を東に進んでいく。

各車それぞれの燃費を競うことになっているが、それが第一目的ではない。
最も長いセクションでは、嘉峪関から蘭州まで一日に750km走ったが、
その日も給油は蘭州の街に着いてからの一回だけだった。
“一回も給油せずに、長距離を走れる”というディーゼルエンジンの
好燃費を実証するのが第一目的だ。

でも、いわゆる“省燃費”運転をずっと続けるような参加者はいない。
ポーランドチームがカザフスタンのバルハシからアルマティまでの一日だけ、
燃費計と睨めっこで、いわゆる“省燃費”運転をやっていた。

どんなに素晴らしい景色に遭遇してもクルマを停めることなく、
トイレ休憩の回数を極端に減らし、どこにも停まらない。
遅いトラックに引っ掛かっても、E320CDIのディーゼル・エンジンの
図太いトルクと優秀な7速AT「7Gトロニック」の威力も最小限に使うだけ。
ジンワリ、ゆっくりと加速させるだけに止めなければ好燃費は達成できない。

でも、そんな風に走ったって、面白くもなんともない。
ここはテストコースじゃないんだから。



パリ北京2006は、移動しながら距離を重ねていく。
どこか一カ所に集合し、イベントが終わったら解散するというものではない。

パリから北京までの超長距離移動そのものがイベントなのだ。
36台のE320CDIと9台のG230CDIその他が、
ひとつの生命体のようにユーラシア大陸を駆け抜けていく。

生命体がどのようにして、一日を送っていったのかを説明してみたい。

朝は、8時か9時にホテルを出発し、夜に目的地のホテルにチェックインする。
何らかのレセプションが行われる晩もあるが、何もなければ各自ホテルで食事を摂って、
あとは眠るだけ。簡単に言ってしまえば、その繰り返しだ。

どんな決まりごとがあって、どんなスケジュールで、
壮大なるパリ北京2006が進行していったのか。

最も厳格な決まりごとは、前述の給油に関してだった。
一日一回、決められた給油しか認められなかった。
もっとも、毎朝満タンで出発し、目的地に到着する前でも、いつも燃料残量には余裕があったから、ガス欠を危惧するまでもなかった。
だから、途中で給油する必要も生じなかった。

万が一、何らかのアクシデントによって燃料が足らなくなったら、主催者に無線か携帯電話で連絡を取ることが義務付けられていた。

燃費を競い合っているからという理由もあるが、それよりも、
E320CDIのディーゼルエンジンが所期の性能を発揮するためには、
成分が不明な通過地のガソリンスタンドの軽油を入れるわけにはいかないという
理由が大きいからだろう。

軽油は、イベントのパートナーであるアラル石油が
巨大なタンクローリーで運んできていた。



各レグが始まる前日に行われるブリーフィングでは、給油についての他に、
注意事項について説明が行われた。
パリ北京のダイレクターであるダイムラー・クライスラーのPRマネージャー、
フローリアン・ウルビッチ氏が毎回マイクを執っていたが、
必ず彼が厳しい表情で僕ら参加者に伝えたのが、警察への対応方法だった。



「各地の交通法規は必ず守るように。主なものは、手元のハンドブックに記してあるので、確認しておいて下さい。街を外れればクルマの数が減って来るが、スピードの出し過ぎにはくれぐれも注意。あなたたち参加者が交通法規を破って、もし監獄に入れられるようなことになっても、ダイムラー・クライスラーはあなたたちを助け出すつもりはありません」

ウルビッチ氏は、傍若無人な振る舞いは許されませんよ、と事前にクギを刺した。

その他に決められているのは、国境は全車まとまって
通過しなければならないことぐらいか。
決まりらしい決まりは、そんなに多くはない。



朝、ホテルを8時か9時に出発する時も、先を争って走り始めるわけではない。
スタッフが、クルマと参加者の数を確認し終われば、あとは次の目的地で給油するまで、
チェックされることは何もない。
つながって走るわけでもないし、どこに停まっても構わない。



昼食は、ホテルでの朝食時に昼食用に用意されるサンドイッチや果物、飲み物、
菓子などを適当に選んで持っていく。
車内で食べても構わないし、どこか景色のいいところにクルマを停めて、
写真を撮ることだってできる。
朝、ホテルを出発したら、給油までは基本的に自由だ。



それぞれのクルマには発信器が取り付けられており、人工衛星へ向けて、
つねに電波が送られている。
一緒に移動しているスタッフのクルマだけでなく、ドイツのイベント事務局にも、
すべてのE320CDIの位置が把握できるようになっている。
その情報は、ウェブサイトにも同時にアップされているから、世界中の人々が、どのE320CDIがどこを走っているか、リアルタイムでわかるようになっている。

それでなくても、以前に書いたようにガーミン製のGPSが優秀で、ルートブックがとてもわかりやすく記されているから、道に迷って途方に暮れるようなことにはならなかった。
ガーミン製GPSの優秀性について、以前にひとつ書き忘れたことがある。
目的地と違う方向に向かった瞬間に、モニター画面上のそれまで減り続けていた
所要距離が、一転して増え始めるのだ。
これなら間違えることはない。



目的地に着くと、まず道路脇の広場などで先回りしているアラルのタンクローリーから給油を行い、ホテルにチェックイン。

すぐに夕食だが、ホテルのレストランの場合もあれば、
バスで移動してレストランに出掛けることもある。
ゲストを迎えることもある。



カザフスタンの新首都アスタナでは、副市長のスピーチを聞き、カザフスタンとアスタナの街の宣伝ビデオを見た。アスタナは、10年前にそれまでのアルマアタから移した新しい首都だ。

「これから発展が約束されているカザフスタンとアスタナを、よく見ていって欲しい」

副市長をはじめとして、カザフスタンの人々の顔付きは、僕ら日本人によく似ている。2003年にウラジオストクから旧々型カルディナでロシアを横断し、ヨーロッパに行った時にも、僕らソックリの容貌をした連中が住む地域を通った。例えば、バイカル湖の東に位置するブリヤート自治共和国の首都ウランウデ。街を歩いている男が、全員、朝青龍に見えた。

中央アジアにはさまざまな民族が存在していて、一様ではない。日本人の起源はひとつではないという学説が有力らしいが、カザフスタンを走っていると、この辺りの人々の先祖が古代の日本列島にやって来て、日本人の元祖のひとつとなったと確信できる。それほど似ている。ユーラシア大陸を延々と走って来ると、そういったことが肌と感覚で感じ取ることができるのだ。

話を戻すと、カザフスタンの新首都アスタナの副市長がスピーチの中で自慢していたのが、まったく新たに建設している首都の都市計画は
日本の黒川紀章によるものだということだった。

翌朝、パトカーの先導によって、パリ北京2006の一行は
真新しい国会議事堂や広場などの間を抜けてアスタナを後にした。
球状の展望台(?)のようなものを串刺し状にした塔など、
もう完全に昔のSF映画のセンスなのが微笑ましかった。
“科学技術は万能で、明日は必ず今日より良くなっている”という世界観。
先月の東京都知事選でのハジけ方といい、黒川紀章って面白い。



パリ北京2006の一行は、位置情報をドイツ本国とやり取りしているだけではなく、
毎日、情報を発信していた。
インターネット&携帯電話万能時代だから、
どこからでも情報と画像をサイトにアップすることができる。
オフィシャル・ウェブサイトだけでなく、参加者が自身のブログに書き込んだり、
ウェブニュースに寄稿しながら、移動していた。

主催者は衛星携帯電話を用いた無線LANネットワークを構築していた。
ホテルのロビーの一角に機材を設置し、参加者誰でもが無線LANを使えるようにしていた。
僕も、メールのチェックや日本のニュースなどを見た。



インターネットや携帯電話などによって、パリ北京2006の一行は、つねに
自分の家族や仕事仲間と連絡が取れる範囲を形成しながら、旅を続けていった。
99年前に、すでにクルマによって北京からパリまでは走られていたが、
電波とデジタル情報によってつねに世界中とつながりながら旅し続けられるのは、
現代ならではだ。