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Paris Beijing 2006




●3 国境通過 ロシア・トロイック



やましいところがなくても、国境通過は緊張する。

日本列島はまわりを海に囲まれているから、戦後に生きる僕たちは国境を直接的に意識することはあまりない。

EUが結成され、加盟国間のパスポートコントロールが消滅したヨーロッパ諸国、たとえばドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの国々を行き来する場合にも、今では停車することはなくなった。

最近の経験では、地中海沿いにイタリアからフランスに入った時に、パスポートコントロールを停まらずに通過した。

イタリア・ボルディゲーラの先の長いトンネルを出たところにある大きな建物は残っていたが、中はカラっぽ。片側3車線のどこを通るクルマも、スピードを落として、そのまま走り過ぎていった。

ドイツ~ベルギー、ベルギー~フランス国境も同様で、パスポートをカバンから取り出す必要なかった。

だが、2年前にスペインからフランスに入ろうとした時には、“ドライブスルー”方式でパスポートの提示を求められた。

その辺りに漂っている同じ空気を吸い、これまで走って来た一本道をそのまま行けばいいだけのことなのだが、地続きの国境には、必要以上に構えてしまう。

ダイムラー・クライスラー主催の「Eクラス・エクスペリエンス」一行は、11月3日に国境を越えて、ロシアからカザフスタンに入った。

エカテリンブルクから365.9km走ったところの、トロイック(Troick)という街に、国境はあった。トロイックは、1743年にコサック民によって砦が築かれた古い街なのだが、パスポートコントロールの建物は、周囲にほとんどなにもない草原にポツンと建っている。遠くに、発電所だが、工場が見えるぐらいだ。

先行している他のEクラスやスタッフカーのGクラスが、パスポートコントロールの建物を前にして、縦に並んでいる。

列は他にも複数できていて、トラックはトラック、乗用車は乗用車が列をなし、その周囲でドライバーが所在なげにウロウロしたり、タバコを吸ったりしながら、列が進むのを待っている。

ここが、ロシアとカザフスタンの国境か。

3年前に、旧々型のトヨタ・カルディナでロシアを横断して、ポルトガルのロカ岬まで行った時に、カザフスタンを通過する計画を立てていた。ロシアのノボシビルスクからチェリアビンスクへ向かうのに、いったんカザフスタンに入国し、そのまま真西へ突っ切って、出国。ロシアへ再入国するつもりだった。ロシア内の道を走っていては、カザフスタンとの国境を迂回することになり、距離がかさんでしまうからだった。迂回距離の長さは無視できず、出入国の手間と時間を差し引いても、カザフスタン経由の方が、どう考えても早そうだった。

しかし、僕らよりも一年前の同じ時期に、同じ狙いで同じルートを採った人から体験談を聴くことができ、断念した。

「ロシアからカザフスタンへのパスポートコントロールでは、理由の説明もなく、8時間待たされた。止めた方がいいですよ」

8時間は待てなくはないが、“理由なく”というところが気になった。理由がないのだから、僕らが行ったら、倍の16時間待たされないとも限らない。近道のはずが、いわれなき足止めとなってしまっては困る。情報も与えられず、ただただ待たされるのは精神的にスッキリしない。なにごとも、ハッキリしない態度は大嫌いなのだ。

「カザフスタンは、ロシアから政治的にも経済的にもロシアから距離を取り始めていますから、お互い、国境では警戒しているのでしょう」

その、忌み嫌っていたはずのカザフスタン~ロシア国境だ。3年前に計画したのはこの国境ではなかったが、何かしらの縁があったということか。
「ノ~、フォ~ト。ノ~、フォ~ト」

コースディレクターのルネ・メッジェの女性アシスタントのひとりがEクラスの列の先頭から一台ずつ、参加者に撮影禁止を確認している。 それも、いっさい建物側を振り向かず、静かに、穏やかな声で、つまり税関吏に気付かれないように、それでいて僕らには有無を言わせぬような気迫を伴いながら、確実を期そうとしていた。

どうやら、ダイムラー・クライスラーとルネ・メッジェ一派は、事前にロシアとカザフスタン当局と交渉済みのようだった。一般の出入国待ちのクルマとは別に、一気に全部のメルセデスを通す段取りがなされているようだ。36台のEクラスと9台のGクラスが揃うのを待っているのだった。

片側3車線の両脇に大きな建物が1棟ずつ建ち、各車線の間に六畳ぐらいの小屋があり、その中の係官にパスポートを提出する。係官の眼を盗んで、小屋の中をチラチラと覗き込むことができた。

ダイムラー・クライスラー側のスタッフはロシアの税官吏と一緒に参加者名簿をチェックしている。

Eクラスの登録証には、レグごとに乗車する参加者が特定されているから、僕ら日本チームも9号車と10号車に登録証通りに乗り込んだ。小屋で3名分のパスポートを提出する。中の係官は、パスポートに貼られた顔写真とこちらの顔を目視で見比べ、手元のリストと名前を照らし合わせている。

ふたりの係官のうちのひとりが、僕のパスポートを手にして、小屋を出て、大きな建物に入って行った。他のふたりのには、すぐにスタンプを押したのに。おそらく、出発前に作った新しいパスポートがICチップ内蔵のものだったからではないだろうか。専用の機械でデータを読み出すことになっているのである。

我々の右隣の車線には、ボロボロで屋根までスーツケースをたくさん積み上げたバスが停まって、乗客が大きな建物にパスポートを手にしてゾロゾロと入って行った。顔は中央アジア系だ。出稼ぎの帰りだろうか。

無事にパスポートも戻され、行ってよし。これでロシアを出国だ。

今度は、そのまま1kmちょっと先のカザフスタンの税関だ。広い駐車場にEクラスを停め、ロシアのものより質素な木造の建物に入る。建物は質素だったが、パスポートチェックの際に、カウンターに設置した小型CCDカメラでこちらの顔を撮影していた。こういうものは、すぐに普及する。

チェックは、いたって簡単だった。ものの数分でパスポートは返され、荷物検査もなく、行って良し。こちらも、ダイムラー・クライスラーの手配によるものだ。

だから、最初に感じた緊張感はすぐに消えてなくなった。もちろん、8時間待たされるようなこともない。でも、僕らがロシア国境に並び始めた時に、すでに並んでいたトラックや乗用車の列は、ほとんど進んでいなかった。ジグリや年代物のアウディ100などが、“出稼ぎ帰り”のバスと前後してカザフスタンに入って行ったが、それ以外はずっと停まっていた。僕らは、まとまって“ズル込み”したから、彼らがあのあとどれくらいの時間を国境通過に費やしたのかわからないのである。もしかして、8時間待たされたのかもしれない。

ダイムラー・クライスラーがカザフスタン当局と話を付けておいてくれたおかげで、8日後にカザフスタンを出国する時も、便宜を図ってくれた。

便宜だけではない。税関建物の中の広い部屋に特別に招き入れてくれ、テーブル一杯の菓子や軽食と飲み物などを振る舞ってくれたのだ。美しい民族衣装を着た女性が十数人、舞を舞って送迎してくれまでした。政府なり税関が管轄して送迎してくれたわけだけれども、実際に僕らに接してくれたカザフスタンの人達の、素朴で、心優しい眼差しは忘れない。

カザフスタン側のゲートを越え、中間の緩衝地帯を過ぎると、中国の税関が見えて来た。3階建ての大きなビルだ。

敷地は広く、僕たちが全車入り込んでも、他にたくさんの乗用車やトラックなどがいた。ここで中国に入国するわけだが、カザフスタン入国の時のようなわけにはいかなかった。
Eクラスをロックし、クルマの登録証とパスポートを持ってコントロールでスタンプを押してもらうまではスムーズにいったのだが、それ以降が滞った。

敷地内で待たされ、さらに隣接する陸運局らしき場所で中国を走るためのナンバープレートと運転免許証の交付を行うのに時間を要した。

ただ、こちらにもダイムラー・クライスラーは手を打ってあり、彼らから一部業務を委託された中国旅行社のスタッフが、役所側との間に入って駆けずり回ってくれた。

外国人が中国々内を運転するために必要な運転免許証は厳密に交付される。僕らも、事前に個人情報と顔写真をダイムラー・クライスラー経由で提出していた。運転できる期間と通過できる省までが明記されている。好き勝手にあちこち走って行けるわけではないということだ。

中国当局は、“個人が、自由にどこへでも移動できる”という自動車の本質を正確に把握し、それを自国内では厳密に規制している。期日と場所の限定は、それを雄弁に物語っていた。

ナンバープレートが付け替えられ、運転免許証が交付されても、僕らはすぐには出発できなかった。イタリアとアメリカ・チームのEクラスが税関から出てこないのだ。あらかじめ中国当局に提出してあった、それぞれのEクラスの車体番号と実際のそれが一致しないからだと聞いた。

陽も落ち、2台は来ないまま、陸運局の敷地から、隣の巨大なショッピングモールの駐車場に移動した。歓迎のセレモニーが予定されていたらしく、大きな風船式のゲートが風に舞っていた。駐車場にはテーブルが並べられ、飲み物や菓子を勧められた。午後8時を過ぎ、風も強く、寒くなってきたので、見物客も少ない。でも、近所の人たちなのか、人なつこく僕らの周りに集まってくる。彼らの顔付きは、数時間前に送迎してくれたカザフスタンの人たちのそれとは明らかに異なった容貌だ。ファッションや髪型なども、まったく違う。地理的には連続しているのに、国境という人為的な境界線によって、連続が断ち切られている。

周囲は漆黒の闇で、何も見えない。だが、ショッピングモールの壁面の広告の漢字と、停まっているフォルクスワーゲン・サンタナやアウディ100の古ぼけた様子が、中国に来たことを実感させてくれる。サンタナは合弁生産されたもので、ドアに“公安”と記され、アウディ100のボディは、オリジナルの倍近くにストレッチされていた。