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Paris Beijing 2006



●2 絶妙のサポート ロシア・エカテリンブルク



エカテリンブルク中心地のアトリウム・ホテルから出て、突き当たりを右折し、少し直線を走って、次の曲がり角に差し掛かるところだった。
 
ポーンッ。
 
E320CDIのセンターコンソールに設えられたGPSが鳴った。
 
もうじき曲がり角ですよ、と音で指示してくれる。
 
気味の悪い人工音声がしゃべるカーナビよりシンプルでいい。

「パリ~北京2006」の第3レグは、ロシア西部の都市エカテリンブルクから始まった。
 
エカテリンブルクは、アジアとヨーロッパを隔てるウラル山脈の東側に位置するロシアで五番目に大きな都市だ。昨晩、空港からバスで市中心部のホテルに向かう途中で目にしたのは、工場群や住宅地ばかりだった。
 
ニコライ2世が革命軍によって家族とともに斬殺されたロマノフ王朝終焉の地であり、ロシア連邦初代大統領ボリス・エリツィンの出身地でもある。
 
ウラル山脈を境として、ロシアはアジアとヨーロッパに隔てられると言われている。実際、山脈の途中には“ここまでアジア、ここからヨーロッパ”という有名なモニュメントが建っているくらいだ。
 
エカテリンブルクはウラル山脈の東側に位置しているから、いちおう地理的、行政区分的にはぎりぎりアジア圏に属するのかもしれないが、クルマ文化圏としては完全にヨーロッパだ。
 
街を走っているのは、ジグリやラーダ、ヴォルガにモスクビッチなどといったロシア車やドイツ車ばかり。日本車は、少ない。これが、モスクワやサンクトペテルブルクに行くと、ロシア車が減り、その分ドイツ車が増えていく。
 
まだ、11月に入ったばかりだというのに、走っているクルマのボディの下半分は泥まみれだ。スパイクタイヤが路面を削った粉塵がこびり付いている。第2レグのサンクトペテルブルクからのウラル越えでは、雪に見舞われたというから、ロシアは完全に冬に入っていた。
 
幸いに、エカテリンブルクの街には雪は残っていない。これから先の行程でも、できれば雪には遭いたくないものだ。
 
ポーンッ。
 
アメリカ製のGPSガーミン(Garmin)60CSが、また次に曲がる交差点を教えてくれる。
 
最初に目標地点の1km手前で一度鳴り、次に10m手前でも再び教えてくれる。
 
10メートル単位の距離とタイミングがきわめて正確な上に、自動的に切り替わるモニター画面の縮尺率も心憎いほどドライバーの心理をつかんでいる。
 
日頃、日本で使っているカーナビだと、「右に曲がって下さい」、「分岐路を道なりです」とか具体的に細かく指示を与えるが、ガルミン60CSは、優しい電子音だけ。ドライバーが次に進むべき方向をどう知るかと言えば、配られたルートブックのコマ図と照らし合わせなければならない。
 
カーナビが音声案内してくれればあれば、そんな面倒は要らないじゃないか。そう一喝されそうだが、このGPSとコマ図の組み合わせが、実に使いやすいのだ。
 
街を一歩出てしまえば、地平線まで一本道が延々と続いているようなロシアやカザフスタンの国土すべてをカバーするようなカーナビ地図ソフトなどは存在していない。今後も販売されることはないだろう。需要が絶対にないからだ。渋滞もないし、道が少ないのだから迷いようがない。
 
では、仮にカーナビがE320CDIに搭載されていたとしても、僕はこのガーミン60CS+ルートブックの組み合わせを選ぶ。
 
ポーンッという電子音によって、ドライバーもパッセンジャーもルートブックを確認することで、運転している自覚が強まっていっているような気がするのだ。
 
日本のように、道が細かく入り組んでいたり、不規則に道が交差するような煩雑さがないから、ルートブックと地図だけでも運転は可能かもしれない。でも、“絶妙サポート”のガルミン60CSとの組み合わせが、鬼に金棒だった。
 
ガーミン60CSは市販されているGPSだから、誰かが同じコースを実際に走ってマッピングをしている。そうでなければ、コマ図とシンクロさせることはできない。
 
誰が、打ち込んだのか?

「パリ~北京2006」の各レグがスタートする前日には、スタッフと参加者全員でブリーフィングを行う。その時に、このイベントの責任者であるダイムラー・クライスラー広報部マネージャーのフローリアン・ウルビッチは、スタッフをひとりずつ紹介する。

「“パリダカール・レジェンド”、ミスタ・ルネ・メッジェ!」
 
背の高い初老のフランス人は、1984年と86年のパリダカール・ラリーをポルシェ959(84年は、「953」というプロトタイプ名でエントリーされた)で二度の総合優勝を果たしたルネ・メッジェその人だ。メッジェが、今回の「パリ~北京2006」のコースディレクターを務め、GPSのマッピングを行ったのだった。
 
メッジェはティエリー・サビーヌ亡きあとのパリダカール・ラリーの主催を引き継ぎ、運営に多大の貢献を果たした。そして、日本の三菱商事が主催した1991年(直前にキャンセル)、92年、95年のパリ北京ラリーのコースディレクターも務めている。ダイムラークライスラーは、これ以上ないくらい最適な人物にコースディレクターを託したわけだ。
 
ブリーフィングの席上、ウルビッチは参加者たちにクギを刺すように説明した。

「レースやラリーではない。ディーゼルエンジンを積んだEクラスのパフォーマンスを示すためのスペシャルチャレンジなのだ。速さを競うようなものではないから、決してスピードを出し過ぎたり、無謀な運転は行わないように」
 
そうは言っても、ディーゼルエンジンの燃費性能の優秀性をアピールすることが最も大きな目的のひとつであるわけだから、毎日、燃費の測定は厳密に行われる。そして、各レグが終了した時に区間毎に最も優れたと劣った値を示したチームが発表される。
 
ダイムラー・クライスラーが用意したEクラスは36台。
 
33台がE320CDIで、3台がE320CDIブルーテック。すべて、4ドアセダンだ。これに、スタッフや4名のオフィシャルカメラマン、ビデオクルーなどが乗るサポートカーのGクラスが9台。
 
他に、修理機材やパーツを載せたトラックとバン。すべてのクルマのタイヤをサポートするミシュランのバンや燃料補給するアラルのトラックなどの大所帯が伴走する。E320CDIと連なって走るわけではなく、ほぼ同じ道を行くが、彼らは次の目的地に向けて一目散に走っていく。
 
では、どんな人たちが参加しているのか。
 
3台のブルーテックは、アメリカからの参加者に割り当てられている。ブルーテックは、アメリカで販売されたばかりだからだ。アメリカのメディア関係者が乗る。ボディは、カッティングシートでスターズ・アンド・ストライプスが張られている。
 
同じように、日本に割り当てられた9号車と10号車は日の丸だ。単なる赤い丸でなく、縁にグレーの影が描かれたりしていて、芸が細かい。国や地域ごとにクルマが割り当てられているのは、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スイス/オーストリア、ロシア、ポルトガル、中国、東南アジア。インターナショナルと呼ばれるクルマは、上記以外の記者やメディア関係者が交代で参加した。
 
また、ドイツの自動車雑誌「アウトモーター・ウント・シュポルト」や「アウトビルド」、
「ADACマガジン」、さらにはドイツの映画賞「バンビアワード2006」などにも占有のE320CDIが割り当てられていた。
 
そして、ダイムラークライスラーがインターネットで公募した一般のドライバーが乗るクルマも2台用意されていた。フランスの一台にはタクシーメーターが取り付けられており、タクシードライバーがずっとハンドルを握っていた。
 
日の丸号の2台は全員がメディアとダイムラークライスラー関係者だったが、他のクルマには一般の人やスポーツ選手なども参加していた。
 
ポーンッ。
 
ガーミン60CSの案内音の間隔が長くなっている。エカテリンブルクの街を出たようだ。ルートブックによれば、14・53km先で左折し、その2・27km先で右に折れ、国道に乗ることになっている。国道をひたすら南西に走り、367.20kmでカザフスタンとの国境に到達する。国境を越え、さらに180kmあまり走ったコスタナイ市庁舎前広場が今日の目的地だ。ルートブック上の、エカテリンブルクからの走行距離は、540.97kmになる。