Paris Beijing 2006


●6 一瞬、中国人になった 中国・イーニン




カザフスタンとの国境を越えて、いよいよ中国に入った時は、気持ちの昂りを抑えることができなかった。
ダイムラー・クライスラー社が主催する「Eクラス・エクスペリエンス パリ北京2006」(以後、パリ北京2006)に、ぜひとも参加したくなった動機のひとつは、未知の中国を自分の運転で旅することができるからだった。

現在、中国では原則的に外国人がクルマを運転することが認められていない。
外交官や学術調査などの明確な目的がない限り、外国人用の運転免許証が
発給されることが、まずないことを2003年に調べて知っていた。
自分のトヨタ・カルディナで、ユーラシア大陸横断旅行を計画し始めた時に、
真っ先に考えたのが、中国からロシアに抜けるルートだったのだ。
禁断の中国を走れる。興奮しないわけがない。

国境の厳しい検査で時間を取られ、一般道を走り始めることができたのは、
午後10時を過ぎていた。
最初の宿泊地であるイーニンの街まではそんなに遠くはないはずだが、
周囲が真っ暗で何も見えない。
道の両側には林や畑らしきものが広がり、時々、人家の前を通り過ぎる。
質素な家々の部屋には裸電球がブラ下がり、どこの家でもテレビを映していた。

暗闇に目が慣れると、前方にトラックやトラクターが走っているのが見えてくる。
こんな時間まで農作業ご苦労さんと労っている場合ではない。
彼らのクルマは、ほとんどテールライトを点灯していないので、
接近する間際までわからないのだ。
故障しているのか、故意に付けないのか。
よく追突事故を起こさないものだ。



翌朝、ホテルをチェックアウトし、昨晩通った道を戻って、東へ進む幹線道路へ向かう。
昨晩、遅くまで働いていた農夫がいた通り、イーニン郊外は一大農村地帯だった。
見渡す限り、畑と牧場が広がっている。

荷台一杯に積んだ干し草がボディ全幅の倍以上あるトラック、羊と人間を一緒にギュウギュウ詰めにして運ぶトレーラー、3輪の軽自動車くらいの大きさのトラック、オートバイやスクーター、自転車、荷物を背負い馬や山羊にまたがっている人々。



道を行くのは自分の肉体を使って、動物と自然相手に働いている人たちばかりだ。
4輪と3輪と2輪と4足の違いはあれど、みんな、
なにか乗り物に荷物を乗せて移動している。

大小さまざまの荷車を山羊や馬、牛に曵かせている人も多い。
乗用車は、ほとんど走っていない。
クルマで一番多いのは、3輪もしくは4輪の軽自動車サイズのトラックだ。
大きさもさまざまで、現在の日本の軽自動車よりも小さなものは、
カン高い排気音と排ガスを撒き散らしながら、走り去って行く。



小学生らしい子供が3人、軽自動車サイズのトラックの荷台に、
羊と一緒に乗せられていた。
子供たちは学校へ、羊たちは市場に連れて行かれるのか。
ここでは、人間と動物との距離がとても近い。



軽自動車サイズのトラックや、荷台を持たない“乗用タイプ”は、
イーニンを出発した後も、各地でたくさん眼にした。
大きさやスタイリングなどが、多種多様だ。
だが、エンジニアリング的にも、生産技術的にも日本の軽自動車とはほど遠く、
ちょうどタイのトゥクトゥクやフィリピンのジプニーなどとの中間に位置している。
シャシはもちろんモノコックなどではなく、
おそらく簡易なバックボーンフレーム式だろう。
当然、サスペンションはリジッドだろうから、全高が高い割りに中は広くない。
3輪のものの中には、ステアリングがバーハンドルのものもあった。



ボディはFRPもしくはアルミ製だが、応力は受け持たず被さっているだけだ。
FRPならメス型、アルミなら金型があるような代物ではない。
面の均一性、張り、チリなどから、
どうやら板状のものを切り貼りして組み立てているように見える。

各地でさまざまな“車種”を見たので、おそらく大量生産されているわけではないのだろう。
小規模に、ローテクでハンドメイドに近い形で生産されているのではないだろうか。
中国の自動車生産台数の伸びが著しいとニュースになっているが、
こうした“クルマ”も一台にカウントされているのだろうか。
安全や環境負荷の面を考えただけで、
僕らが定義するクルマと同じものとは簡単には呼べない。



バタバタバタッと単気筒エンジンの排気音を響かせながらトコトコッと駆けずり回る、
この手の軽自動車サイズのクルマは完全なシティカーで、
街と街をつなぐ幹線道路には出て来ない。
北京や蘭州の中心地にも走ってはいないが、
その周縁や郊外では、たくさん走っていた。

軽自動車サイズのクルマに限らず、中国人のクルマの運転には、一見すると規則性がない。

混み始めると、すぐに反対車線を行く。
路地から大通りに出る時には一時停止する。
交差点のない道の中央に停まってUターンする。
交差点のはるか手前から右折する等々。
欧米や日本で同じことを行ったら事故を引き起こすか、
違反切符を切られるようなことばかりだ。
「パリ北京2006」の参加者の中には、そうした“中国式”の運転を受け付けず、
辟易していた人もいたが、僕は気にならなかった。

なぜならば、僕らは中国の人たちが乗っているクルマとは比較にならないほど
速く走れるメルセデスベンツE320CDIに乗っているから、
彼らとはスピード域が噛み合っていないから彼らが危なっかしく見えるのでは
というのが、まず第一の理由。

二番目には、危なっかしそうなドライバーたちでも、
ちゃんとアイコンタクトをしてきている。
だから、こちらもそれに応えながら運転すれば、それほど怖くはない。



結論としては、クルマの運転“作法”の違いといっても、所詮は、人間の営みなのだから、
風土や歴史、文化が異なれば、一緒に変わっていくものだ。
違っていて当たり前。
日本や欧米と同じだったら、気持ちが悪い。

たしかに欧米や日本の、自動車と自動車を使う文化が高度に発達していることは
間違いないのだが、それは相対的なものでしかない。
中国の人たちの運転やクルマの使い方などと僕らとの違いをいちいち
挙げつらってみても、何の意味もない。
危ない時は、どこでも危ないのだ。



日本や欧米では交通法規やマナーなどのシステムが確立されている(異論もあるが)から、
ルールに身を委ねていれば、安全運転と直結する。
中国では、システムが未完成だから、自らの感覚を研ぎ澄まして、
自衛しなければならない。
歩行者だって、そうしている。

だから、中国に限らず、外国でのクルマの運転は、違いをよく認識した上で、
郷に入りては、郷に従うべきなのだ。
自分が中国人で、3輪軽自動車モドキに乗っていたとしたら、どう運転しているか。
想像力が大切になってくる。



万里の長城の西端の地である嘉峪関のホテルにチェックインする前に、
毎日の行事として給油を行った。
隣の広場にアラル石油のタンクローリーが停まり、給油設備が設営されている。
僕らはE320CDIでホテルのエントランスに入ったものの、一度、そこを出て、
大通りを少し走って、隣の広場に入らなければならない。
給油を済ませ、ホテルに戻る。
腹も減っているし、熱いシャワーも浴びたいから、一刻も早くチェックインしたい。

しかし、大通りには中央分離帯があるから左折は不可能。
右に出て、はるか先の信号でUターンし、ホテルの前を通り過ぎて
ロータリーを4分の3以上回らなければ戻って来れない。

ちょっと面倒臭いかナと思った瞬間に、昨晩泊まったハミの街で、
歩道を当たり前のように走るタクシーと、
それを咎めようともしない歩行者の群れを思い出した。
次には、クルマの来ないロータリーを逆走していた
軽自動車モドキの姿も脳裏にフラッシュバックした。

ちょっとの罪悪感はあったが、僕は思い切ってハンドルを左に切って、
ソッと広い歩道にE320CDIを進めた。
薄暗い歩道にはたくさんの歩行者がいたが、自然と道を開けてくれる。
誰も、こちらに見向きもしない。

「全然、平気じゃないですか」

助手席のK君も呆気にとられている。
歩道から車道のロータリーに戻らなければならないが、何度も確認して、
5メートルぐらい逆行して、再びホテルのエントランスにE320CDIを進め、
荷物を降ろしてチェックインした。
慣れない外国人のくせに意図して交通法規違反したことなど褒められたものではないし、
こうしてわざわざ自ら書き記すことでもないだろう。

杓子定規に言ってしまえば犯罪だが、杓子定規では済まないのが
中国のストリートではないか。



中国人の運転作法とクルマに対する姿勢のホンの一端を瞬間的に共有することができた。
一瞬、自分は中国人になれたのだ。
たった200~300メートルの距離のことだったが、
海で泳ぎながら放尿した時のような、ちょっとバツの悪い解放感に包まれながら、
スッキリした。