Transsyberia2008 トランスシベリア2008


●ウランバートル


トランスシベリア2008の最終日は、モンゴルエルスからウランバートルへの368kmで争われる。
 
モンゴルエルスでは、昨年と同じ広大な人口キャンプ場に泊まった。入り口付近にはバンガローとその宿泊客などもいてレジャー施設然としているが、2kmあまり奥へ進んでいった僕らのキャンプ地は、何もない荒野そのものだった。その点では、昨日までと変わらない。
 
だが、ゴールを迎える気分は違う。今日の午後、ウランバートルでのゴールまで無事に走り切れば、15日間で7600km走ってきたラリーも終わるのだ。気持ちが軽くなる。
 
そう思うと、心身ともに昂りは収まらず、まだ暗いうちにシュラフを抜け出して、背伸びをした。
 
夜明けの空の美しさが、格別だ。漆黒の闇が広がるだけだった東の夜空から徐々に明るくなってくる。暗闇と朝陽の中間は、半熟卵の黄身のような濃い黄色に輝いている。地平線の東方を中心にして、そこから南北それぞれの方向に深い橙色のグラデーションが広がっていく。
 
まだ朝4時前だから、テントから出てくる者はいないが、ポルシェのサービストラックには電灯が点き、メカニックたちが仕事を始めている。彼らも、今日のゴールに向けて、気持ちを引き締めていることだろう。
 
昨年と変わり、最終日のスペシャルステージはふたつ設定されている。ひとつ目は、ここから75km東に進み、幹線道路から奥に入ったところからの87kmだ。レンガ造りの古い工場の裏の広場がスタート地点で、その向こうに広がっている草原を北北東に進んでいく。
 
15日前にモスクワをスタートする時には、主催者のリチャード・シャラバーは、「みんな揃って、ウランバートルまで走り切ろう」と宣言していた。誰もが、順位こそ問わないものの、身体もクルマも無事にゴールできることを信じて疑っていなかったはずだ。確信こそ抱いていなかったが、僕らだって、ゴールに辿り着くことを第一の目標にしていた。
 
しかし、最終日のスタートを前にして、ここにはいないチームと、ここにはいるけれどもスタートできないチームが何チームもある。
 
ポルシェ陣営だけでも、イギリス、イタリア、カナダ、中東、カタール、中国、プライベートのSTSレーシングなどが、すでに戦列を離れている。アメリカは、みんなからだいぶ遅れてスタート地点にやってきたが、昨日までの度重なるエンジンやサスペンション・トラブルなどが完全に直っていなくて、スペシャルステージには参加しないようだ。迂回して幹線道路を走り、ウランバートルまで行く。
 
オーストラリアのポール・ワトソンも、スタートはするが、ゆっくりとクルマをゴールまで運ぶだけだと言う。一昨日のバヤンホンゴールからモンゴルエルスまでのスペシャルステージ中に壊れたパワーステアリングのオイルポンプを駆動するベルトが切れたのが、完治していないらしい。
 
カイエン勢以外でも、イタリア人とドイツ人コンビのプライベーターのトヨタ・ランドクルーザーJ9が最終日のスタートに辿り着けていなかった。
 
昨晩のブリーフィングで、あらかじめ最後のスペシャルステージは、「セレモニアル」なものになることが伝えられていた。タイム計測はせず、追い越しが禁止される。だから、最後から二番目の、これから始まるステージが順位に関係する最後のステージとなる。トップのフランス・ポルシェと2位のスペイン・ポルシェの差は2時間以上あるが、2位と3位のポルシェ・ドイツ1号車とは14分、4位のポルトガルと5位のロシア1号車などは1分40秒しか離れていない。順位が入れ替わる可能性は、十分にあるのだ。
 
僕らは、ここまでで総合11位のクラス10位。ひとつ上には、手負いのアメリカがいるが4時間ものタイム差がある。
 
ドライバーの小川義文さんも僕もいたって健康。カイエンSトランスシベリアのコンディションにも不安要素はまったくない。87kmの、このステージを走り切れば、終わったも同然だ。そう自分に言い聞かせてスタートした。
 
慢心したわけではないが、初めからミスを犯してしまった。最初のウエイポイントは、緩やかな丘を登り、1.9km先の変則十字路を1時方向に直進する。これを間違えて、11時方向に導いてしまった。完全なる勘違い。凡ミスだった。幸い、500mも走らずにミスに気付き、元のルートに戻ったが、その間に後からスタートしたカイエン2台とスズキ・グランドビターラ、メルセデスG320に先行されてしまった。
 
いつもと変わらず、最初のウエイポイントの方向と距離を諳んじながら、周囲に目を配り、向かうべき方向を注視して臨んだはずなのに、いったいどうしたことなのか。ミスコースした時というのは、ミスに気付いた瞬間に何を間違ったか、判断の記憶を巻き戻せるものだ。ミスコースの判断は、唐突には下されない。自分でも、なんとなく怪しいと訝りながらだったり、二者択一を迫られる状況からイチかバチで選んだ結果が間違っている場合がほとんどだ。でも、ドライバーの小川さんには、それを悟られないように自信たっぷりに指示をしているのだけれども。
 
1時方向を11時方向に間違えたのは、今から思い起こせば、明らかに僕の疲労が原因だった。同じ手順で、変わらず判断をしているのにもかかわらず、簡単なミスを犯したのは、疲れているからだった。ゴールを前にして気持ちが高揚しているから、あの時は意識できていなかったのかもしれないが、判断力が鈍っていたのだ。
 
ゴール近くで、もう一度、ミスコースをした。ゴールは、草原がだいぶ開けてきて、人家や幹線道路が行き交う一帯のどこかにあることは、ルートブックから間違いなかった。
 
注意書きされている溝や穴を避けながら、ヒントである送電線の位置と方向を見定めながら、ゴール地点の場所を見極めたつもりだった。それは幹線道路の向こう側の、山の麓の少し開けたところに違いない、と推察した。方角と距離、送電線との位置関係から類推したのだ。
 
なんとなく、クルマが何台も停まっているように見えるのは、すでにゴールしたラリーカーではないのか。
 
ルートブックに指示されている溝を越え、幹線道路に出て、2kmほど東に進めば、ゴールを示すいつもの旗が見えてくるはずだ。

「旗なんか、ないねぇ?」
 
小川さんも、カイエンを停めて、周囲を探す。
 
おかしい。どっかで間違った。たくさん停まっているのは、採石場に来ている地元のクルマじゃないか。

「スミマセン。僕のミスコースです。全然、違いました」
 
幹線道路を戻り、送電線の始まったところまで引き返すことにした。

「アッ、ありました!」
 
ゴールの旗は、全然、トンチンカンな方向に翻っていた。そこに戻るには、やはり、送電線まで大きく迂回して戻らなくてはならない。
 
ミスコースの原因は、僕の早トチリだ。送電線との位置関係を間違えたところは、判別し難かった。同じようにミスコースしたチームもあったからだ。問題は、その後だった。幹線道路の向こうの採石場をゴールだと、勝手に決め付けてしまっていた。これも、早くゴールに辿り着きたいという焦りによるものだろう。その焦りだって、精神的な疲れから来ていたのではないか、と分析できる。もちろん、初日のステージから、一刻も早くゴールしたいと切望しながらすべてのステージを競ってきてはいるのだが、精神的な余裕がなくなっていた。
 
ルートブックの指示を反芻し、GPSが示す方角と距離を当てはめ、眼の前に広がるフィールドのどこを、どう通って、次のウエイポイントに達するか。
 
先行するラリーカーが巻き上げる土煙、ワダチ、川や溝、水たまり、草の生え方、そして地形など、眼に入るすべてのものを“情報”として脳にいったんインプットし、瞬時に総合判断して最適のルートをアウトプットしなければならない。
 
そのデータの出し入れが、スムーズにいかなくなっていた。前日までは、たとえミスコースしても、脳内のハードディスクは回転し続けているから、瞬時にミスしたことを認識できていた。しかし、最終日一回目のスペシャルステージでは、それがフリーズしてしまったようだ。
 
このステージの結果は、総合13位、クラス9位。勝負に“タラレバ”は通用しないが、前日までの調子であったなら、接戦だったから、いくつか上位でゴールできたのかもしれない。しかし、あの結果が自分の許容量を表わしているのだと考えれば、実力通りなのだろう。
 
最後のスペシャルステージは、ウランバートル郊外の広大なリゾートで行われた。山をふたつ越え、川を2本渡る11.25kmのルートだ。昨年と同じ場所だが、ルートが少し違っていた。タイムを計測しないから順位が変わることはもうないのだが、それでもみんなペースを落とすことなく争っていたのが面白い。
 
ゴールポストをくぐり抜け、カイエンを停めて、小川さんと握手を交わし、僕らのトランスシベリア2008は終わった。成績は、昨年よりひとつずつ上げ、総合10位クラス9位。
 
実を言うと、スタートする前は、「昨年の経験を生かせば、かなりいいところまで行けるのではないか」と、ひとり密かに皮算用していたのだ。自分なりに、勘どころは抑えたつもりだった。
 
ところが、トランスシベリアはそんな甘いものではなかった。たしかに、僕が想定したぐらいの勘どころは抑えることができた。でも、そんなものは、全体のごくごく一部にしか過ぎなかった。
 
昨年の経験を経たが故に、昨年は気付かなかった勘どころが新たにたくさん見えてきたからだ。もしも三度目に挑んだとしたら、そこにはきっと二度目に見えなかったものが立ち現れてくるはずだろう。つまり、無限に続くのである。
 
プロが途中でリタイアし、往年の名ドライバーであり、思慮深い砂漠の紳士である中東ポルシェのサイード・アルハジャリでさえ、見えない穴に激しくヒットさせ、その衝撃から病院送りになったほど過酷なトランスシベリアに、たかだか一回の経験など微々たるものに過ぎない。僕らの身体とカイエンが無事にゴールできたのは、ただただ幸運と偶然がもたらしただけだ。
 
断言できるのは、自然の圧倒的な大きさ、奥深さに対した人間の小ささだ。以前はイメージすらできなかったものを対比して考えられるようになったのは、冷戦の終結によるソ連邦の崩壊という社会体制の変化と、カイエンSトランスシベリアという超高性能四輪駆動車のパフォーマンスによる。経験とは、アテにするものではなく、限りなく積み重ねていかなければならないものだった