Transsyberia2008 トランスシベリア2008


再び、ロシアからモンゴルを股に掛ける競走に挑む

2008年7月

ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


ロシア・モスクワからモンゴル・ウランバートルまで、14日間で7600kmを競うアドベンチャーラリー「トランスシベリア2008」に、2年連続で出場したチーム・ポルシェジャパン。前年の経験を活かして、どう闘ったのか?

●ヴァイザッハ

トランスシベリアという、聞き慣れないラリーレイドの名前を初めて耳にしたのは、2006年12月、ポルシェのヴァイザッハRDセンターでの「モータースポーツ・フェスティバル」に出席した時のことだった。

毎年、12月に行われるこの催しは、ポルシェでモータースポーツに参加した世界中のすべてのレーシングドライバーの中から、成績優秀者を表彰し、スタッフや関係者の労をねぎらう。FIA格式のものだけでも、ポルシェが走っているレースは世界中で多岐に渡っているから、多くの表彰が行われる。

特別ゲストは、ロジャー・ペンスキー。永年、ポルシェをはじめとする世界中のマシンを用いて、自身のモータースポーツ活動を行っている、アメリカの“巨人”だ。このシーズンは、アメリカン・ルマン・シリーズのプロトタイプ・クラスにRSスパイダーを走らせ、チャンピンを獲得していた。

そのアメリカン・ルマン・シリーズでのRSスパイダーと911GT3RSRなどをはじめ、ポルシェは各国のトップカテゴリーに参戦している。IMSAのスポーツ・プロトタイプ・シリーズ、FIA・GTチャンピオンシップ。ヨーロッパやアジア・オセアニア圏での各国でのスポーツカーやGT選手権。もちろん、日本でのスーパーGTやスーパー耐久選手権など。

また、F1のサポートイベントとして行われるポルシェ・ミシュラン・スーパーカップや、カレラカップ、GT3カップチャレンジ等々。

他にも、数多くのレースでの活躍ぶりが、ヴァイザッハ研究開発センターのボス、ウォルフガング・デュラハイマーによって次々とと紹介された。

デュラハイマーにとってみれば、手塩に掛けたマシンの手柄を称え、ワンメイクレースの隆盛ぶりを示せる、この夜の達成感のいかに大きなものだったことだろうか。

トランスシベリアのことが取り上げられたのは、延々と続くサーキット・レースでの戦績紹介がいち段落したところだった。

「ポルシェは、10000km超のラリー・トランスシベリアでのクラス&総合優勝によって、完璧なオフロードパフォーマンスを示した。シベリアを横切る、長く、過酷な超長距離走行で、ほとんどストックの2台のカイエンSはその素晴らしさを身をもって証明したのだ」

デュラハイマーの背後のスクリーンには、モンゴルの平原を行くトランスシベリア仕様のカイエンSが、映された。そのワンカットだけ映され、スピーチは他の話題に移った。

短い紹介だったが、トランスシベリアというラリーレイドにカイエンSが出場し、優勝を果たしたことが印象に残った。

へぇ、そんなラリーレイドがあるんだ。どんなルートを採るのかナ。

主に先進国の大都市で人気のカイエンが、そんな、いかにも過酷そうな競技に出ているなんて知らなかった。ポルシェの狙いは、どこにあるのだろうか?

僕は、もう少しトランスシベリアについて聞いてみたかったが、デュラハイマーは、2007年の取り組み方などには一切触れることなく、次の話題に移ってしまった。

スピーチの最後に、デュラハイマーが強調していたのは、ポルシェのモータースポーツへの取り組み方だった。

「ポルシェがクルマを製造することの頂点に位置するのがモータースポーツ活動なのです」

市販している製品と密接な関連性を保ちながら、レーシングマシンも開発していく。市販モデルが突然変異したようなレーシングマシンだけが現れることはない。356も、911もそうやって発展してきた。モータースポーツと、ポルシェの市販モデルとの間には、切っても切れない関連がある。ならば、カイエンSがトランスシベリアなるラリーレイドに出ることによって、どんな意義と意味があるのか。

ヴァイザッハから戻り、年末年始の喧噪を東京でやり過ごすと、トランスシベリアのことは忘れ掛けていた。

「ちょっと相談があるので、お会いできませんか?」

旧知の写真家・小川義文さんからメールをもらったのは、2007年2月の終わり頃のことだった。

「8月に、“トランスシベリア”というラリーレイドがあって、ポルシェ・ジャパンが専用に仕立てたカイエンSを1台エントリーさせるんだけど、カネコさん、僕と一緒に出ませんか?」

小川さんは、かつてパリ・ダカール・ラリーに7回出場した他、ロンドン・シドニー・マラソンやファラオ・ラリーなど、海外の規模の大きなラリーレイドに豊富な出場経験を持っている。その小川さんにポルシェ・ジャパンからオファーがあり、ナビゲーター役のコドライバーを探しているという。

モスクワをスタートし、モンゴルのウランバートルまで、14日間で7000kmを競う。

スゴそうで、面白そうだけど、躊躇した。こちらは、モータースポーツの取材経験はたくさんあるが、出場したことは一度もないのだ。レースやラリーは、あくまで取材対象のひとつであって、自分がやるものではないと決めていた。小川さんが、かつてパリダカやロンドン・シドニーで組んだコドライバーでは、ダメなのだろうか。

「カネコさんは、何年か前に、自分のクルマでユーラシア大陸を横断した時に、ロシアを走ったことがあるでしょ。その経験が欲しいんだ。僕はロシアを走ったことがないから、想像すらできない。路面状況は? 治安は? 燃料補給は? 食事は?」

その時の様子は、モーターマガジン誌で2年にわたって連載させてもらった通りだ。

「これだけ長い距離になると、経験が一番モノを言う。おそらく、このトランスシベリアに参加する人たちの中にだって、ロシアを長距離走ったことのある人は、あんまりいないんじゃないかな。だから、カネコさんの経験は強味になるんだ。ラリー経験の無いことなんて、全然関係ないから」

そう小川さんに口説かれながら、トランスシベリアへの興味と関心が膨らんでいった。ラリー出場の経験が問われないのならば、ぜひ出てみたい。

クルマで未知の土地を旅したり、長い距離を走ることは、2003年にユーラシア大陸を横断した時の前後にも、経験している。“自動車の最も大きな存在意義は、自由に、自律的に移動できるところにある”と、つね日頃から唱えているわけだから、トランスシベリアに出場するということは、またそれを競技というもうひとつのカタチで実証することができるのではないか。

小川さんの誘いに対して、“面白そうなので、もっと詳しく聞かせて下さい”と返事をしたのが、始まりだった。

ポルシェ・ジャパンと打ち合わせを重ね、5月のライプチヒでのトレーニングに参加し、6月にはシュツットガルトを訪れ、ラリーカーのチェックを念入りに行った。

プロジェクトに携わっている人たちと接していると、このラリーレイドへの参加は、ポルシェにとって新しい試みのようにうかがえた。

2点ある。まず、参加メンバーの幅広さと多さ。1985年のパリ・ダカールに959プロトタイプで総合優勝したルネ・メッジや86年のファラオラリーで同じく959で勝ったサイード・アルハジャリ、アメリカのパイクスピークに何度も優勝しているロッド・ミレンなどの往年のトップドライバーたち。さらに、ヨーロッパ・ラリーチャンピオンかつWRCドライバーのアーミン・シュワルツ、ポルシェ・スーパーカップ・ドライバーのカルロス・セルマなど、現役の一流どころを走らせている。

その一方で、ラリー経験をまったく持たない僕のような各国のポルシェ・ディーラー経営者などの初心者を多数、出場させている。

もう一点は、トランスシベリア仕様のカイエンSはヴァイザッハの研究開発センターで製作されるが、プロジェクトを統括するのはモータースポーツ・セクションではなく、マーケティング・セクションである点だ。これが何を意味するのか。

「もともと、今は定年退職したハンス・リーデル副社長のアイデアなんですよ。“カイエンのパフォーマンスを長距離ラリーレイドなどで実証できないか?”って、よく話していました。“ヨーロッパからアジアのどこかまでずっと走って行けたら、素晴らしい”って」

カイエンは欧米や日本などで人気があるが、今後は経済成長の著しい中国やロシア、インドなど、いわゆる新興国での売り上げ台数の増加が見込まれている。新興国市場でのSUV人気は、先進国のそれを上回るほどだ。リーデル元副社長のアイデアは、その辺りを見据えたものなのだろう。

カイエンのような、オンロードを重視したオフロード4輪駆動車(という言い方も妙だが)の性能が、ほぼ飽和したと断言して構わないだろう。プロでなくとも、その性能を引き出せるようになったからこそ、リーデル元副社長は思い付いたのだろう。クルマが発展途上にあったのならば、あらためて“実証”しなくても、ユーザーの日常の使用過程とコンペティションシーンで示されていた。それがすべてだった。

ルマン24時間やパリ・ダカールをはじめとして、ポルシェはトップカテゴリーのレースやラリーレイドに、少数精鋭の一流どころを送り込み、勝利を独占してきた。その方法論は、ペンスキーにRSスパイダーを供給するのをはじめとして、現在でも続いている。その成果が、ヴァイザッハの「モータースポーツ・フェスティバル」で披瀝されていたわけだ。

そこに、モータースポーツへのもうひとつの方法論が試みられているのが、トランスシベリアへの取り組みといえるだろう。ほぼ無名の草イベントに、一流とビギナーが乗るカイエンSを24台も送り込み、成果をマーケティング的に有効活用する。ポルシェにとって、新しい試みがトランスシベリアなのだ。

マーケティング主導型と聞くと、ファンからはその姿勢に純粋さが欠けていると指弾されるかもしれない。たしかにそうかもしれないが、ポルシェといえどもマーケティングは無視できないし、カイエンはその影響を強く受けるカテゴリーに属している。

しかし、昨日、2008年仕様のラリーカーにライプチヒ郊外の森の中で試乗してきたが、昨年、不満を感じていた点がほぼ改められていたのには感心させられた。緻密な丁寧な改良という、まぎれもないポルシェ流がそこにはあった。