Transsyberia2008 トランスシベリア2008


●モンゴル 後半戦


チョコレートが溶ける甘い匂いが車内に立ちこめてきた。
 
スペシャルステージ中では昼食など摂れないので、チョコバーやクッキー、キャンデーなどで栄養補給している。サイドブレーキレバーの後ろに設置した小物入れに入れたチョコレートが溶け始めたに違いない。カイエンSトランスシベリアの床は剥き出しで、カーペットや遮音材などはすべて取り剥がされている。熱くなった床が溶かしているのだ。その熱は、床下のセンターデフかトランスファーから発せられている。
 
無理もない。傾斜角度が、25度はあろうかという急斜面を駆け上がっているのだ。
 
ヴァーーンッ。
 
エンジンのトルクを前後輪に配分するトランスファーが、唸りを上げている。チョコレートが溶けるくらいだから、車内も暑くなってきた。

「大丈夫かな?」
 
ドライバーの小川義文さんが心配しているのは、熱とルートの両方だ。小川さんは、水温計の針が100度を越えたと言う。
 
ほとんどが空しか見えないような急斜面をカイエンの登坂力に任せて上り始めてしまったのはいいが、傾斜がどんどんキツくなっていく。カイエンは登坂力があるのは間違いないが、2本のスペアタイヤ、ウインチや工具類などをはじめとした装備で重量も嵩んでいる。エンジンやトランスファー、センターデフなどに掛かる仕事量は平坦なところを走っているのと較べものにならない。
 
ガーミンのGPSでは、とっくに2000メートルを越えている。平坦なところから、300メートル以上は上がってきた。自身の重量を短時間で持ち上げる仕事をなすために必要な位置エネルギーの一部が熱となって発散されてきているのだ。エンジンの水温が高くなることは、今までさまざまなかたちで体験したことがあるが、駆動系統が熱くなるなんてことは初めてだ。チョコレートも溶けるわけである。
 
先行するライバルたちのワダチも、途中から消えた。この場で方向転換するのは危険なほどの急斜面だ。ヘタをすると転倒だ。眼の前の峰を登り切り、早く下りてしまいたい。
 
明らかに、僕のナビゲーションミスだった。ひとつめの峰を登ったところまでは良かった。その後、ふたつめの峰を登らず、左に曲がって、ふたつめの峰の付け根を時計回りに大きく回り込んで峰の向こう側に出るべきだった。
 
昨年の経験から、カイエンSトランスシベリアのエンジンや、ましてやトランスファーにダメージを受けることが起ころうとは想像もしていなかった。幸い、僕らはこのふたつめの峰を越え、急斜面を降り切ってことなきを得たから良かったようなものの、オーバーヒートによるトラブルを抱えることになったのかもしれないのだ。ポルシェ・カナダ・チームは、別の原因ではあるとはいえ、ロシア・ステージ中にトランスファーが機能しなくなり、モンゴルまで来れなかった。
 
カイエンSトランスシベリアは、ポルシェが誇る4輪駆動制御システム「PTM」を備えているが、それに頼り切ってしまう愚を犯してはならなかったのだ。チョコレートの匂いがしてきた時にクルマを停め、水温とクルマを冷まし、善後策を考えるべきだっただろう。
 
この辺りの土地にも一切樹木は生えておらず、草の類も見当たらない。丘と山の表面は細かな石でビッシリと固められ、ところどころナイフのように薄く鋭利な岩が剥き出しになっている。植物は、岩に生えた苔のほかは、数センチほどの短い草が風に飛ばされないように岩の影にひっそりと生えているに過ぎない。
 
だから、どこでも走ろうと思えば走れる。いわゆる“道”がないから、自分が走ったところが道になる。人家や森林もないので、どこをどう走っても構わない。真っ白なキャンバスに筆を入れる瞬間のようなものだ。
 
日頃、日本の混んだ道を走っている身からすれば、モンゴルの平原には、すべての束縛から解放された自由が存在している。どこを、どう走ってもいい自由。クルマを運転して感じる快感の、ひとつの極がここにはある。
 
昨年の経験が役立つこともあれば、役立たないこともある。難しい。
 
今年、トランスシベリアへの2度目の参戦を決めた時から、密かにリベンジを誓ったことがあった。フィニッシュ一日前のバヤンホンゴールからモンゴルエルスまでのスペシャルステージを、うまく走り切るという課題を自らに課したのだ。
 
昨年は、ステージがスタートしてすぐに始まる川渡りに苦しめられた。川の中でスタックし、これも運良く同じルートを通り掛ったポルシェのサービスクルーが乗るカイエンにロープで引き上げてもらって、脱出できた。40本以上も川を渡っただろうか。渡っても渡っても現れる川に、精神的に疲労させられた。
 
コドライバーは、時にはクルマを降りて川に入り、深さと流れの強さを確認しなければならない。そのことの重要性に気付かされたのも、昨年のこのステージでだった。同じ川でも、渡る場所が数メートルずれただけで、流れと深さと底の様子は全然違う。慎重になり過ぎては、いつまで経っても前に進まないが、見極めどころを誤ると、取り返しのつかないことになる。
 
どこを、どういった角度で渡るか?
 
その答えを出すのに、昨年は身構え過ぎていた。肩に力が入り過ぎていたのだ。だから、今年は発想も、身体も柔軟にする必要がある。ルートを素早く見極め、小川さんを導き、連続する川渡りをこなしていかなければならない。
 
今年のトランスシベリアを制する鍵は、バヤンホンゴールのステージが始まってすぐの川にあると狙いを定めていた。出発前には、スポーツ用品店で伸縮式の登山用ステッキを購入。靴も水中の岩の苔で滑らずに、水がすぐに外に流れ出して乾きも早い優れもの、サロモンの

「ウオーターシューズ」を用意して臨んだ。
 
自分が率先して川に入ることにも、躊躇する理由はない。ビチャビチャになる服とシートは、すぐに乾く。日本を発つ前から、気合い入りまくりだったのである。
 
ところが……。
 
40本も渡った川が、ほとんど干上がっていたのである。拳大から人間の頭蓋骨ぐらいの丸い石が続く、去年は川であった河原を行けども行けども、水は見当たらない。時々、流れているのかいないのかわからないような“水たまり”があったが、もちろん僕が降りるまでもなく、小川さんがローレンジを使うまでもなく突破する。

「去年と、全然違うねー」
「空振りもいいところですよ」
 
ラリーの時期が今年は一ヶ月早いことも、水が少ない理由かもしれない。いずれにせよ、自然には逆らえない。

「肩透かしを喰らったようなもんだけど、去年みたいに川渡りで消耗させられることがないわけだから、助かるよ」
「今年初めて参加するチームには、有利に働きましたね」
 
去年は、車重の軽いスズキ・グランドビターラやプライベート参加のポルシェ911などが、急流に流されていた。その様子を目の当たりにして、みんなビビッていたのだ。流れが緩やかに左に蛇行しながら川幅を拡げる、まさに去年のその場所に差し掛かると、なんと、ポルシェ・ドイツの1号車がタイヤがすべて沈む深さの流れの中で、スタックしていた。
 
1号車といえば、優勝候補のプロドライバー、アーミン・シュワルツではないか。今年は、陣容を固め、コドライバーにアンディ・シュルツを招聘してきた。シュルツは、増岡浩やユタ・クラインシュミットと組み、三菱パジェロでパリダカールにニ度、総合優勝しているプロ中のプロだ。そのシュルツが、川に入って、牽引ロープをポルシェ・ノースアメリカ・チームのカイエンに結び付けようとしている。

「アンディ、大丈夫か?」
「OK! 先に行け!」
 
2メートル上流側の川面をよく見れば、底が見えるほど浅いじゃないか。どこを見ていたんだ、アンディ。
ドイツ1号車は、川から脱出できた後も、コンピューターユニットを浸水させたことで、エンジン不調に陥り、順位を落とした。この日、シュワルツとアンディは2位からスタートしていたが3位に落とし、挽回の機会を失った。
 
結局、小川さんがカイエンの車高を上げ、ローレンジを選ぶほどの川渡りは、そこだけだった。優勝を請け負い、自他ともに認める優勝候補だったシュワルツとアンディは最後の最後で、それを逃した。ふたりが何を誤ったのかは、わからない。シュワルツは、昨年の経験を活かすことができなかったのだろうか。
 
東側から河原を見渡す丘の上に、小さな村が見えた。昨年も、川から上がって、その村に入り、再び河原に戻ってくる指示がルートブックに記されていた。今年も同じだった。

「去年も入った村です。お寺の回りをグルッと一周させられて、この脇に出て、川に戻りました。今年も同じ指示なので、寺まで行かず、ショートカットしましょう」
「ああ、そうだったね。了解!」
 
そうすれば、僕らの前で村に入っていったドイツ2号車を抜ける。
 
すぐに河原に戻り、上流方向にスパートした。

「去年は、ここで僕らがスタックしたんですよ」
「そうだったね」
 
11ヶ月前の記憶は、意外と衰えていないものだった。川の曲がり具合、崖の形状、橋の位置などの目印によって、流れていた川の姿をイメージすることができる。
 
途中、ロシア1号車とドイツ3号車に追い抜かれたが、3号車を追い抜き返し、その先で、ドイツ2号車とオーストラリアを抜いた。パンクで停まっていたコロンビアもパスできたから、この日は上出来だった。総合13位を、11位に上げられた。

「今日の12位って、低くない?」
 
モンゴルエルスのキャンプで、夕食前に張り出された今日の結果表を覗き込んだ小川さんが不満げだ。
 
イヤな予感がしていたのだ。昨年のことを思い出しながら、割とうまくフィニッシュできたが、どこかで“スンナリいき過ぎなんじゃないか”と引っ掛かっていた。具体的には、チェックポイントの見落としだ。
 
結果表を見ると、案の定、1時間のペナルティが加算されている。オーガナイザーに確認したら、その通りだった。

「あの村の中に、あったんですよ」
 
村に入って行ったドイツ2号車のカルラス・セルマに聞いてみると、村の中に去年はなかったチェックポイントが設けられていたという。
 
昨年は無かったが、今年も無いとは限らない。コース設定を行ったオーガナイザーにしてみれば、“してやったり”だっただろう。僕らは、彼らの簡単な罠に簡単に引っ掛かった。
経験も、よく活かさなければ、悪く作用してしまうことがある。