Transsyberia2008 トランスシベリア2008


●ロシア 後半戦


競争相手であると同時に、長い旅をともにする仲間でもある連中が困っていたら、
どうするべきか?

それについては、すでに昨年から僕と小川義文さんとの間で、
あらかじめ対応方法を決めていた。

スペシャルステージ中で、スタックしていたり、何かトラブルに巻き込まれているようだったら、まず、窓を開けて声を掛ける。そこで助けを求められたら、どうするか考える。これが、基本対応の第一歩。

昨年も今年も、助けを求められたことはなかった。シリアスな状況に陥っている相手は、訊ねる前に向こうから必死の形相で乞うてくる。
「トランスミッションが変速しなくなった」
「水温が下がらなくなったから、様子を見ている。早く行け!」

僕らが手伝ったとしても手の下しようがない場合は、どうすることもできないことをお互いに了解しているから、サッと立ち去るだけだった。

しかし、「構わないから、行けっ」と言われても、見過ごせないという時もある。7月15日のスペシャルステージ5日目が、まさにそんな状況だった。

ウラル山脈を越え、アジア側のロシアに入って最初の大きな都市テュメンから520km離れたところにステージが設けられていた。ロシアのステージは、去年も今年も深い森の中で行われていたが、ここは違った。起伏のほとんどない平原のあちこちに、木立ちがあるだけだ。でも、人間の背丈以上に延びた草が生い茂っているので、視界は開けていない。

完全にドライ路面で、川や水たまりなどもないからペースを上げられるが、ルードブックには“溝に注意!”という注意書きが頻出している。雨水を通すために掘られた深さ50センチぐらいのものや、自然にできた
溝があちこちに走っている。不用意に突っ込もうものなら、かなりのショックを伴うはずだ。

木立ちの間を抜け、草が生えていない地面が左方向に広がっていた。舵を左に切りながらスパートしていく。左斜め前方に、黒いカイエンが一台停まっていた。ここからは、ドライバーもコドライバーも、まだ見当たらない。
「燃えている!」

近付いて行くと、そのカイエンの
ボンネットフードの隙間から、勢いよく炎が吹き出している。炎は50センチ以上も燃え上がり、フロントフェンダーの奥にも、チロチロと赤い火が廻っている。このまま放っておいたら、ガソリンに引火して爆発するかもしれない。小川さんは、用心して5メートルぐらいまで近付いた。イギリス・チームだ。

反対側へ回り込んで、マーティン・ロウとリチャード・トゥシルの動静を確かめようとしたら、反対側にいたマーティンが携帯電話で誰かと話しながら、僕らに近付いてきた。
「大丈夫だから、行け、行けっ」

マーティンは大仰に右手をグルグル回して、僕らに先へ行くことを促した。早口で相手に状況説明しているから、必死の形相だ。少し離れてから、振り返った。

反対側の前後ドアを開け、リチャードは積んでいた荷物を、クルマの外へ放り出していた。とりあえず、ふたりが無事だということはわかったので、ひと安心して、スペシャルステージをフィニッシュした。

それにしても、マーティンとリチャードは、あの後、大丈夫だったのだろうか。爆発したりしていないか。私物は、すべて取り出すことができたのか。他人事とはいえ、心配だ。

フィニッシュ地点でも、ふたりに関する情報はなく、今晩の宿泊地であるオムスクを目指した。

オムスクには、昨年も宿泊したが、今年はホテルが変わった。イルティシュ川沿いの立派な「ホテル・ツーリスト」だ。短い夏を楽しもうとする地元の人たちが集って、河原で日光浴をしている。彼らを相手にした、大きなテント張りのカフェやレストランも営業している。

ホテル横の広場をラリー用に区切って、すでに到着したラリーカーが整備を受けている。もちろん、イギリス・チームのカイエンの姿はない。

しかし、マーティンとリチャードはいた。無事で良かった。ふたりは、カフェでこの地方特有の肉の串焼きを肴に、ビールをジョッキでグビグビやっている。回りには、ラリーの仲間たちが、十数人。
「カネコ、これ見ろよ」

中国チームのエディ・ケンが12インチサイズぐらいのノートパソコンを渡してきた。粗めの粒子で撮影された動画が再生されている。
 燃えているカイエンじゃないか。
「こんなの誰が撮ったんだ?」
「リチャードさ。荷物を全部出してから、撮影したんだ」

携帯電話を掛けていたマーティンの傍らで、リチャードは果敢にも今にも爆発しそうな自分たちのラリーカーを、あらゆる角度から燃え尽きるまで撮影していた。余裕というか、さばけているというか、ジャーナリスティックというか、あっぱれなものだ。マーティンとリチャードの様子を訊ねたが、いたって元気で明るかったのでホッとした。
「水温計の針が100℃を振り切っていた。その直後にエンジンが停まり、停車した瞬間、焦げ臭い匂いが車内に入ってきた。こりゃマズい、燃えていると思ったので、すぐにクルマから降りて、荷物を外に出しながら、ユルゲンに電話した」

身体は、無事なのか。
「何の問題もない。火傷? 火傷もしていないよ。ありがとう」

すでに、モスクワ経由でロンドンに帰る便の予約も済ませたという。プロらしく、実にサバサバしていた。

ふたりは無事だったが、大変だったのがポルシェのメカニックたちだ。すべてのカイエンのラジエーターとファンを取り外し、点検掃除作業を行わなければならなくなったからだ。今日のステージのように草が生い茂ったところでは、千切れた草の葉やつぼみなどがラジエーターを目詰まりさせ、ファンを塞ぐ。マーティンたちのカイエンのトラブル原因は不明だったが、草が原因となることは十分に考えられる。僕らのカイエンも、洗車屋でスチーム洗車するとラジエーターとファンの間からたくさん草が出てきていた。

その晩、ホテルのレストランで行われたブリーフィングは荒れた。

毎日行われるブリーフィングでは、翌日の予定の確認やルートの変更などが伝達されることがほとんどだが、この日は、最後にオーガナイザーのリチャード・シャラバーがドイツ語でまくしたて始めた。いつもと違って厳しく強い口調なので、ドイツ語は理解できなくとも、察することはできた。ドイツ人たちも、真剣に聞き入っている。続けて、補佐役のアクセル・ゲッツが英語に訳す。

「何度言っても、飛ばし過ぎるドライバーが少なくない。特に、人のいる家や建物のそばを通る時、チェックポイントやフィニッシュラインでスピードを落とさない者がいる。危険なので減速するようにと、再三にわたって注意してきたはずだ」

アクセルもシャラバーのニュアンスを伝えるためにではなく、オーガナイザーのひとりとして憤っている。
「トランスシベリアは、パリダカールやWRCではないんだ」

これには伏線がある。前日や前々日のブリーフィングで、イタリアのアントニオ・トニャーニャやポルトガルのペドロ・ガメイロなどが、ラリーのオーガナイズを巡って、執拗とも言える質問を繰り返し、シャラバーやアクセルを追及していた。

「“フィニッシュラインを越えたら減速しろ”と言うけれど、ロシアは広くて土地はたくさんあるのだから、フィニッシュラインとフィニッシュ・チェックポイントをもっと離して設置すればいいじゃないか」

昨年2位に入ったアントニオは、スペシャルステージのスタート順を巡っても、オーガナイザーに喰って掛かっていた。

言っている内容には一理あるのだが、すべてを理想的に行えとリチャードに一方的に要求するのは酷な話だと思った。シャラバーたちオーガナイザーにいたらない点があることは確かだが、それでも昨年に較べれば改善されたところもある。だから、ブリーフィングで彼らにクレームを付ける参加者も去年に較べれば減っていた。アントニオは自分がトップグループにいて、速さと結果を追求しているということを強くアピールし過ぎていた。

この辺りの加減は難しい。主張すべきことを遠慮してしまっても良くないし、要求や理想だけを声高に主張するだけでは空回りするだけだ。 一般論として、“日本人はあまり主張しないが、西洋人は違う”と言われているが、トランスシベリア2008に参加している連中を見ていると、一概にはそうとも言えない。“静かな西洋人”も少なくないのだ。今年から参加しているフランス・チームのふたりや、ドイツ1号車のコドライバー、アンディ・シュルツなどはいつも静かに聞いているだけだ。だから、声高に主張するアントニオは余計に目立っていた。アントニオの名前こそ出さなかったが、アクセルは最後に次のように締めくくった。

「競技について、私たちに何か質問がある時は、大きな声で早口で喋るのは止めて欲しい」

パリダカやWRCと較べられ、挙げ句の果てに怒鳴られたりしたら、やってられっか!

シャラバーとアクセルの、そんなボヤきが聞こえてきそうだった。

なんとなくシャキッとしないまま、ブリーフィングはお開き。翌日は、オムスクから549km東に進んだ丘陵地帯にスペシャルステージが設けられた。昨日と同じように、草が高く生い茂っている。

ドイツ1号車、カタール、イタリアとトップグループの3台がスタートしたところで、止まった。次のチーム・ミドルイーストがスタートせずに、待っている。様子を見に、クルマを降りてスタート地点に向かうと、救急車がコースに入って行った。ステージを終えてスタート地点に戻ってきた、ドイツ1号車のシュルツに聞けば、アントニオが8km地点でバンプにクラッシュして、怪我をしたという。ポルシェの現場マネージャー役ユルゲン・ケルンに聞くと、「横転や出火はしていないが、救急車が戻って、再開するのを待つように」

因果が巡ってしまった。ファイターであるアントニオのことだから、猛烈にスパートしたに違いない。救急車に続き、ゼッケン2番のシルバーのカイエンSトランスシベリアが自走して戻ってきた。アントニオに代わってハンドルを握るコドライバーのカルロ・カッシーナの、悲しみと悔しさを噛み締めている顔を正視できなかった。

アントニオは誰よりも激しくスピードを追い求めたが故に、スピードに討ち返されてしまった。7000kmを超えるトランスシベリア2008では、ゆっくり走っていてはいつまで経ってもゴールにたどり着けないが、スピードを追い求め過ぎてはリスクを急激に高めてしまう。そのバランスを自分たちなりに、いかにマネージするかが勝敗を分けるのだろう。マーティンもアントニオも、その犠牲となった。