Transsyberia2008 トランスシベリア2008

●ロシア 前半戦



経験を生かすことは、容易ではない。「トランスシベリア2008」ラリーの初日スペシャルステージで、僕らチーム・ポルシェジャパンは昨年の経験を生かすことができず、過大な累積タイムを背負い、下位集団からラリーを争わなければならなくなった。

初日から10時間のペナルティは、イタかった。走行時間が4時間30分。これに10時間をプラスした、14時間30分が僕らの、初日の成績だ。

トップのポルトガル・ポルシェと僕らの差は、13時間26分もある。トップと2位が13分42秒を争っていたのに対し、いかにこれから僕らが克服しなければならないタイム差が大きいものか。新入社員が初月給と一緒に、月給の10倍に相当するような多重債務を背負ったようなものだ。

10時間のペナルティを課せられたのは僕らだけではない。オーストラリア・ポルシェ、チーム・エクスプローラー、ポルシェ・ロシア2号車、「ルス&スゥエド」の日産パスファインダー、チーム・プロサービス、チーム・ショソローザなど6チームが定められたマキシマムタイム以内にスペシャルステージをフィニッシュすることができなかった。

タイムオーバーとなった理由は、はっきりしている。森の中の一本道で、みんな何度も泥や深い水に何度もスタックを繰り返した。そして、その一本道は細く、後ろから来たラリーカーは前方でスタックしてもがいているマシンを追い越すことができない。つまり、“スタック渋滞”に引っ掛かって先へ進めず、時間切れとなったわけだ。

去年、沼で水没して身動きが取れなくなっていたチーム・アジアパシフィック・ポルシェのカイエンSトランスシベリアを僕らが引き上げて助けた。彼らが水没にいたった過程を目の当たりにし、水没したらどうなるのか、水没しないためには何をなすべきかを一応は知ったつもりでいた。

もちろん、いまでも、それらを諳んじることはできる。しかし、諳んじることはできても、咄嗟の状況に対応できるかどうかは、また、別の話だ。だから、“経験を生かす”ということは、容易ではない。“経験する”と“経験を、自らのものとする”ことの違いの大きさに愕然とさせられている。

今は、こうして東京の自宅でマックを前にして、落ち着いて思い出すことができるけれども、あのロシアの暗い森の中の深い沼で、ズブズブと沈んでいく一方のカイエンSトランスシベリアを前にしていては、冷静で的確な判断なんてできなかった。

だから、水没時の最大の過ちを犯してしまった。

何度目かの“スタック渋滞”に巻き込まれた。その手前で、何台ものラリーカーが立ち往生しているので、僕がクルマを下りて、先頭がどうなっているのか、様子を観に行った。

4、5台前のチーム・オーストラリア・ポルシェのシルバーのカイエンSトランスシベリアが、かなり深い水たまりにハマッて身動きが取れなくなっていた。

そこは幅が3メートルぐらいしかない道で、左側は草木が生い茂り、右側は川なのか池なのか、葦のような草の間には満面の水がたたえられている。道と水面を隔てる堤の幅は50センチぐらいあるが、こちらにも草木がたくさん生えているので、場所を選びながら歩いて行かないと、前に進めない。

雨量が増したせいで、先の方の堤を越えて川から水が入り込んで、
水たまりを大きく深くしている。

深さと路面の様子を探るために、靴のまま水たまりに入ってみた。冷たく、濁っていて、底が見えない。立ち続けていると、体重で身体が沈んでいく。それでも、道の端の方がまだ固く、立っていられる。それまでにラリーカーが通ったと思われる辺りが、水と混じって土が掻き回され、底なし沼のようになっている。

オーストラリアのカイエンSトランスシベリアは、水たまりの中でもがき続け、底の泥を4輪で掻き続けた挙げ句、タイヤが埋まるまで沈んでいた。こうなったら、もう自分たちではどうすることもできない。ウインチのワイヤを対岸の木に結び付け、脱出するしかないが、そのウインチが取り出せない。ここまで深く沈んでしまってドアやテールゲートを開けたら、一発で、車内は床上浸水だ。

水たまりの手前で“順番を待っていたドイツのカイエン2号車が牽引ロープで引き上げるのを試みてみたが、ヌルヌルの路面の上でタイヤを滑らせるだけで、オーストラリアのカイエンを引き上げることはできなかった。

万事休す。

オーストラリア・チームのナビゲーター、ポール・ワトソンは助手席の
窓ガラスから上半身を乗り出した。

「牽引ロープとシャックルを貸してくれ。それを、向こうにいるウニモグに
結び付けてくれないか」

ポールとデイブ・モーレイのふたりは昨年に引き続き、トランスシベリア2008に出場してきた。昨年、彼らはモンゴルの第2日目のスペシャルステージで溝に激しくカイエンをクラッシュさせ、途中でリタイアしている。

「去年は、フィニッシュできなくて、悔しかった。だから、今年は、好成績よりもフィニッシュすることを優先して走ることにしたんだ」

ポールはポルシェ・オーストラリアに勤め、ディーラー・トレーニングを担当している。
休日には、自らのF3やFJマシンでアマチュアレースを趣味にしているカーガイだ。

「去年は、ひたすら飛ばしていた。オーストラリアにも、アウトバックと呼ばれる広大なデザートが広がっていて、僕らは走るのに慣れている。だから、モンゴルでも、その経験を生かして速く走り、良い結果を残せると思っていた。でも、そうじゃなかった。
モンゴルでは、100km/h以上で飛ばすオフロードにいきなり大きな穴や溝が出現するし、岩や石も転がっている。オーストラリアでは考えられないことだ」

デイブは、クルマとヨットの記事を雑誌に寄稿するフリーランスライター。
ふたりとは、去年はほとんど会話を交わすことはなかったが、今年はスタート前から、
よく話すようになった。

「クルマを壊さず、無理をしないで、フィニッシュすることが重要だ。去年の君たちみたいにね。僕らは、今年は方針を変更したんだ」

昨年、僕らは11回のパンクに見舞われ、オイルクーラーのジョイント部分を下から岩にヒットさせ、エンジンオイルをすべて流出させてしまったにもかかわらず、12位で完走した。
途中でリタイヤせざるを得なかったポールとデイブにしてみれば、
12位完走という結果は、“よくやった”ように映ったのだろう。

僕らがアジアパシフィック・チームの水没を見て、“ひとつ学んだ”気になったのと同じように、ポールとデイブは昨年の僕らの戦い方と成績を思い出して、今年の戦法を変えてきた。彼らは、立派に経験を生かしていた。だが、僕らにはできなかった。

オーガナイザーが用意したウニモグは、オーストラリアのカイエンを簡単に水たまりのぬかるみから引きずり出した。

それに続くカイエンは、水たまりの底の固い部分を選んで、ウニモグの手を借りずに走り抜けることに成功した。スズキ・グランドビターラやメルセデスベンツG320、ランドローバー・ディフェンダーなども、それに続いた。

次は、僕らの番だ。助手席に戻って、見てきた一部始終と水たまりの様子を小川さんに報告した。小川さんは、トランスファーを切り替えて、ローレンジモードを選び、もうひとつのスイッチで最低地上高を最も高い位置に持ち上げた。

「行くよッ!」

こういうシチュエーションでは、ゆっくりと水に入り、タイヤが底の路面を掻き過ぎないように用心していく必要がある。小川さんも、細心のスロットルワークで、前に進めていく。

10メートルほどの水たまりをほとんど渡り切り、水から上がろうとした最後の斜面で、タイヤが空転し始めた。傾斜は、思ったより急で、少しずつカイエンが滑り落ちて行く。なんとか前輪のグリップだけでも確保し、這いずり上がろうと、小川さんはエンジン回転を上げたが、前に進まない。いったん後退させて、やり直したが、ダメだ。2回、3回。

ハンドルを少し切って進路を変えてみたり、センターデフをロックさせてみたり、あらゆる手段を必死に試している。
このままだと、ポールとデイブたちのように泥に埋もれていってしまうのだろうか。
そう思うと、助手席に何もしないで座ってはいられなくなり、外に出た。

ジャーッ。

「しまった」

必死にドアを閉めたが、大した水深でもないのに水の勢いはすさまじく、
一度開けてしまったドアを完全に閉めることができない。

「ジャージャー入って来てるッ」

仕方がない。少し開けて勢いを付け、強く閉めるしかない。

アイスコーヒーのように真っ黒な水がたくさん入り込み、もう一度、力一杯ドアを閉めた。ボンッという鈍い音がしてドアとボディのラッチが組み嵌った気がしたが、水はそれを阻んだ。マズいことに、強く引っ張られたドアハンドルが根元から引き千切れた。
たとえ半ドアであろうとも、ドアを引き付けて、隙間を最小限に抑えておくものが、
なくなってしまった。
窓を開けて腕を出し、外側から抱え込むようにして抑え付け、
シャーッと流れ込む音を聞きながら、大きな悔恨の情にかられた。

深い水に嵌った時には窓から出入りしないと、瞬時に車内は浸水してしまう。
その惨状は、昨年、アジアパシフィック・チームが眼の前で晒していたじゃないか。

彼らを引き出しながら、“自分たちだったら、決してこんなヘマはしない”と
心に誓ったはずだ。
それなのに、どうして同じ過ちを繰り返したのか。経験から学んだはずではなかったのか。

悔しさと自責の念で気持ちのメモリが一杯になり、さらに別の間違いを犯しやしないか
動転した。

とにかく、この水たまりから脱出しなければならない。外に出てみると、やはり4輪が底の泥を引っ掻いてどんどん沈み込んでいっている。

結局、僕らもウニモグに引き出してもらった。
10km弱の間で3回のスタックを喫した湿地帯をようやく抜け、フィニッシュ。
しかし、165分のマキシマムタイム内でフィニッシュできなかったので、
10時間のペナルティを課せられた。
34台中の30位。残り14日間のラリーを戦うには、重苦しいスタートだった。
クタクタになりながらウラジミールのホテルにチェックインし、
泥だらけのシャツとズボン、下着、靴を脱ぎ、シャワーを浴びながら、洗ってみたが、
ドス黒い染みは何度も流しても落ちなかった。