Transsyberia2007 トランスシベリア 外伝-7

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル

●8月11日

昨日から今日までは、休日。ラリーのスケジュールは何もない。
各チームそれぞれ、クルマのチェックやパンクの修理、明日からの
スペシャルステージに備えている。
 
モンゴルに入って、ラリーの日常が全面的に変わった。
ロシアでは、程度の差は激しかったが、毎日ホテルに宿泊していた。
モンゴルでは、ゴールのウランバートルまでは毎晩キャンプだ。
カイエン勢は、ポルシェから支給された共通のひとり用テント。
マットとシュラフは各自のもので、僕らはマムートから提供されたものを使った。
どちらもとても快適で、安眠を確保してくれた。
 
食事は、モンゴル人ファミリーのケータリング業者がウランバートルまで
トラック2台でずっと帯同してくれ、毎日3食作ってくれた。
彼らは、キャンプからキャンプへ先回りし、トイレの穴を掘ったり、
ゴミを処分したり、ラリー一行の身の回りの世話を焼いてくれた。
両替係まで一緒に来るのだから、徹底している。
 
オバちゃんと息子の作る料理は美味で、メニューのレパートリーも豊富だった。
魚こそ使わなかったが、毎日、キャンプのそばで仕入れ(仕留め?)た、
さまざまな食材が新鮮で美味しかった。
特に、キッチン用テントの裏でシメていた羊に岩塩を擦り込み、
何かのハーブと一緒に蒸し焼きにしたものが素晴らしかった。
あと、2日に一回は出た巨大餃子。
日本の餃子のカタチと構造はそのままに、大きさが3~4倍。
カリカリの皮と、スパイスたっぷりのアンが絶妙。今でも、食べたい。

●8月12日

オルギーからマンクハンまで、トータル440kmの行程。
うち、スペシャルステージは295km。
ポルシェのトランスシベリア2007・プロジェクトの現場監督である
ユルゲン・ケルンが、ブリーフィングの際に、カイエン・ユーザーだけを残して、
アドバイスを授けた。
「ロシアと違って、モンゴルのスペシャルステージは長い。
轍は狭く、鋭い岩がたくさん転がっている。
スピードを出し過ぎないように。リスクは、とても高い」
 
ユルゲンの言葉を、僕らはしっかりと受け止めたはずだったが、結局、
この日フィニッシュまでに3回パンクした。
2本しか積んでいないスペアタイヤを使い果たし、途方に暮れていたら、
エディたちが後ろからやって来たので、1本借りて無事にフィニッシュできた。
総合21位。

●8月13日

メカニカルトラブルを抱えたクルマが、何台も出始めている。
やはり、モンゴルのスペシャルステージは過酷だ。
 
ダルヴィまで、今日はリエゾン区間なしの330kmのスペシャルステージ。
唯一の人工物である送電線と電柱を目印に、100km/h以上でスパートする
ステップと呼ばれる、砂混じりで、樹木のない平原は速度を上げやすく、見通しもいい。
しかし、雨期には川が流れていたようで、その跡が深い轍になっているから、
注意が必要だ。轍も、進行方向と同じ向きに延びていれば問題ない。
直行していると、危ない。
 
コロンビアのクリスチャンとクラウスは、その餌食となった。
僕らと同じように100km/h以上で飛ばしていたふたりは、
幅5メートルくらいある干上がった川の底に、減速せずに突っ込んだ。
クリスチャンは背中を強打し、カイエンはフロントサスペンションにダメージを受け、
オイルパンを割った。
 
他にも、カナダとオーストラリアのカイエンが、同じように
高速からノーブレーキで縦方向に回転し、クラッシュした。
途中のチェックポイントで、主催者からスペシャルステージ中止を言い渡される。
 
ダルヴィのキャンプで、明日14日のスペシャルステージをキャンセルすると
主催者から告げられる。
主催者の不備を追求する異議申し立てが1時間近く続いた。
「僕たちはツーリングに来たんじゃない。ラリーをしに来たのだから、
次から次へとスペシャルステージをキャンセルして欲しくはない」
 
中東チームの往年の名ドライバー、サイード・アルハジャリの舌鋒が鋭かったが、
内容はきわめてまともで、多くの賛同を得ていた。

●8月14日

陽が高いうちにアルタイの街に着いたので、給油と洗車を終わらせ、
街のマーケットで昼食を摂った。
テーブルに腰掛けて昼食を摂るのは、久しぶりだ。
ここでも、巨大餃子を堪能する。
ホテルの食堂に入ったら、ラリー参加者がたくさんなごんでいた。
ドバイ・チームのカリーム・アルアジャリにビールを奢ってもらう。

●8月15日

バヤンコールまで、前10kmと後100kmのリエゾンにスペシャルステージが408km。
この日のステージに、コドライバーとして最も悔いが残っている。
走っている時は、最善の判断を下しているつもりなのだが、
それが大きく外れ、順位を大きく下げた。
どこで、何を、どう判断し間違えたかを克明に憶えているから、余計に悔しい。 
先行車の動きを気にし過ぎ、自分でよく考えなかったことにより、
遠いルートを通りチェックポイントをパスせざるを得ず、大幅な減点。
ヤマッ気を出して最短ルートを取ろうとし、
草に隠れていた直行する轍にノーブレーキで突っ込み、
オイルクーラーをヒットして、エンジンオイルを全部流出させてしまった。
すべて、僕の責任だ。
 
ドバイ・チームのカイエンに、100km牽引してもらって、
バヤンコールのキャンプへ泥だらけで到着した。
他がたくさん遅れたので、総合14位へ大きくジャンプアップ。
「カネコさん、駄目だよ。終わったことをアレコレ言ったって。
言い出したらキリがないし、原因を突き止めようとしたら、
お互いの責任のなすり付け合いにしかならないんだから。
あの状況で14位に上がったことを、むしろ良しとして次に進まなきゃ」
 
キャンプでの夕食時に、自分の判断の失敗を悔いていたら、
小川さんに強くたしなめられた。
いつも穏やかな小川さんが、初めて厳しい口調になった瞬間だった。
パリダカ7回をはじめとする豊富なラリー体験からのアドバイスで、
とても説得力があった。

●8月16日

モンゴルエルスまでのスペシャルステージは、428kmと最長だ。
川を、30本以上越える。深そうな川は、僕がカイエンを降り、
ステッキで深さと勢いを探りながら、小川さんを誘導する。
胸ぐらいまでの深さならばカイエンは渡れるので、僕はずっとビショ濡れだった。
 
途中までは快調に進んでいたが、ルートを見失って、
真夜中にキャンプに辿り着いた。
GPSとルートブックを用いれば、ルートを見失うことはなく、
指定されたウエイポイントをクリアしながら進んでいることも確認していた。
だが、最後のチェックポイントを過ぎてから、
後ろから1台も追い掛けてこず、先行車にも追い付かなくなった。
「様子がおかしいよね」
「おかしいけど、GPSとルートブック通りに進んでいますから、
他になすすべがありません」
 
考えられる原因は、GPSに主催者がインストールしたルートが間違ったことぐらいだ
短縮されたスペシャルステージの変更データも、昨晩のブリーフィング後に
オーガナイズの担当者のパソコンからインストールを受けている。
 
真っ暗闇で、何も見えないところを延々走っていたら、
同じように遅れたレンジローバーに遭遇し、ヘトヘトになってキャンプに着いた。

●8月17日

313kmリエゾンを走って、ウランバートル郊外の山中で22kmのスペシャルステージ。
追い越しを禁じられた、パレードランのようなものだった。
 
モスクワから7000kmを2週間走って来た。
ロシアの長いリエゾンには参ったが、モンゴルでは眠っている時以外は、
いつでもラリーに自分が試されているようで、面白かった。
WRCタイプのラリーと異なり、キャンプして移動しながら超長距離を競い合いながら
旅するアドベンチャーラリーの一端に触れることができた。
 
高性能オフロード4輪駆動車とGPSという文明の利器を用いながら、
五感によって進路を探りながら競争する。
文明社会ではまったく必要とされない感覚を試された。
ヒトという獣になれた2週間だった。