Transsyberia2007 トランスシベリア 外伝-6

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル

●8月9日

今日も、コシュアガシュまでの845kmを走るだけだ。
道は南東方向に分岐するM52。
ライプチヒでのトレーニング以来、久々にカイエンのステアリングを握って
200kmほど走った。
トランスミッションの最終減速比が4.10にまで引き下げられているから、
ダッシュは鋭いが伸びが足らない。
100km/hでのエンジン回転は2000rpm。エアサスは、「ノーマル」。
「コンフォート」ではボディの揺れが収まらず、「スポーツ」ではショックが強過ぎる。
フォート」ではボディの揺れが収まらず、「スポーツ」ではショックが強過ぎる。
 
道は、アルタイ山脈へと入っていく。
標高が高まり、周囲は山が近くなって来た。
緑の木々と草原に覆われ、美しい。黄色や紫色の花がアクセントになって、
眼を楽しませてくれる。
 
いくつもの峠を抜けて南西方向に進んでいく途中、危ない目に遭った。
もしかしたら、ラリー中で一番危なかったかもしれない。
警察に、身柄を拘束されていたかもしれないからだ。
 
未舗装だが、片側2車線ぐらいある道を、エディたちのクルマを先頭にして、
2台のカイエンで上っていた。
「人が倒れていますよ」
「生きているのかな」
小川さんは路肩にカイエンを停め、僕は窓ガラスを降ろして様子をうかがった。
「動いています。怪我か病気か、それとも単なる酔っぱらいか。
ここからではわかりません」
同じように、カイエンを停めて見ていたエディが、降りた。
「エディのヤツ、誰かに見られたら誤解されるぞ」
 
呼んでも、聞こえないみたいだ。仕方がないから、降りて促そう。
倒れている人は、中央アジア系の顔付きをしていて、左手で胃の辺りを押さえている。
しかし、激しく苦しんでいるふうではない。
寝ぼけているとも、酔っぱらっているとも言えなくもない。
エディは英語と中国語で話し掛けているが、何も返ってはこない。
すると、脇の林の中からひょっこりと、
同じような顔付きと身なりをした男たちが3人現れた。
倒れている人に必死に何か話し掛けているが、男からの返答はない。
「☆×@&%=##●=+?*☆!!」
「&☆+@#%$!!!」
「##●=+?*☆☆+@&%$☆##!!」
 
3人は、ものスゴい形相でラリーカーと僕らを指差しながら、わめき始めた。
「エディ、マズいぞ。僕たちが轢いたって誤解されているみたいだぞ」
 
言葉が通じないし、当人は答えない。
つまり、“僕らが轢いてはいない”と誤解を解く手立てが何もないのだ。
地元の警察にでも来られたら、その場で無罪放免というわけには絶対にいかない。

「オー、そうか、そうか。その通りだな」
エディはのん気なものだったが、僕は警察が追って来やしないか、
ラリーが終わってウランバートルを経つまでずっと心配していた。
 
コシュアガシュでは、初のテント泊を行った。
明日、国境を越えてモンゴルに入ったら、ゴールのウランバートルまでは、
ずっとテントだ。
コシュアガシュの村の手前の、川沿いでキャンプ。
幅20メートルほどの川の水は、手が切れるほど冷たく、白濁している。
周囲は山が取り囲んでいる。
国境に至る一本道から、傾斜のキツい崖のような斜面を降りてキャンプ地まで辿り着く。
最低地上高の低い乗用車だったら、降りてこられないだろう。
 
信じられなかったのが、ポルシェのサービストラックだ。
モスクワから一緒に来ている2台は、4軸8輪駆動のMAN製で、
パーツやタイヤを満載したトレーラーまで牽引している。
それが、この急斜面を、さなぎの頃のモスラのようにゆっくりと
真っ黒いディーゼルスモークを吐きながら、降りて来たのだ。
コクピットの天井部分に特製されたキャノピーや
特異な形状のフロントウインドウなどが、戦う雰囲気をプンプンさせている。
小川さんによると、1980年代にパリダカなどにワークス参戦していた時に
使っていた、そのものではないかとのことだ。
カイエン勢を支えた影の主役だ。

●8月10日

国境を越え、モンゴルへ。ロシアを出国する税関とパスポートコントロールが厳格だ。
モンゴルは、歓迎されている雰囲気。オルギーという村外れでキャンプ。
細かな石や岩が延々と続くだけで、他に何もない。
森林や草原すら、見当たらない。