Transsyberia2007 トランスシベリア 外伝-4

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●8月4日


朝7時30分にホテルを出発し、今日のスペシャルステージへ向かう。
ここから東南東に134km離れたところにある、M7をカザン方向へ進む。
M7は自動車専用道ではないが、片側2車線の、ロシアにしてはよく整備された道だ。
バイカル湖畔のイルクーツク市以西では、首都モスクワへ通じる大動脈なのだから、
当然か。ラリーカーは、みんな150~160km/hで飛ばしに飛ばす。
 

M7を外れ、未舗装の泥の道を林の中に入っていく。
廃屋が何軒か残された、ちょっとした広場がスタート場所だ。
地元の人たちが、すでに老若男女集まってきている。

「深い川を渡るらしい」
誰ともなく、そんな噂だか情報だかが伝わり、
カイエン勢は一斉にシュノーケルを装着し始める。
シュノーケルは、できればずっと付けていたいが、エンジンへの 空気取り入れ口が
フェンダーではなく、カイエンではボンネット上面に付けられているため、
取り付けるとボンネットを開けられなくなってしまう。
だから、必要に応じて、車内から取り出して2本のトルクスねじで、そのつど
取り付けなければならない。
 
ゼッケン7番のチーム・アジアパシフィック、エディ・ケンとプラディップ・ポールの
シンガポール人コンビが、スクリュードライバーを借りに来た。
このふたりは、5月にライプチヒで行われたポルシェ主催のトレーニングの時から、
僕らに何かと話し掛けて来ていた。
エディは中国系のガラス販売会社の社長。
競技経験は少ないが、クルマやバイクでの長旅が好きなようだ。
気のいいオヤジだが、オバさんのように喋りが止まらなくなり、
ちょっと煩わしくなる時がある。
「同じアジア人同士、協力してやっていこう」と言って、
ライプチヒで最初に握手を求めて来た。
 
プラディップは編集者で、新聞と雑誌の自動車記事担当だ。
僕らがエディを見る目を理解していて、
「エディは、典型的なシンガポール人タイプ」とクールに構えている。
ブン屋だから、臆せず、いろいろな参加者の間を機敏に歩き回って、
情報を取ってくるのがうまい。
 
スタート順は前回の成績順。前は、ゼッケン22番のチーム・ロシア1号車のカイエン。
後ろは、エリックの911カレラ。
 
スタートして50mぐらいで、コースが大きく右にカーブして林の中に入っていくので、
見当が付かない。おまけに、このスペシャルステージは、ルートブック上での方角指示が
記されておらず、ウェイポイントごとの緯度と経度の数値を、
GPSと照らし合わせて大まかな方角を割り出すしか方法はない。
ウェイポイントには、備考として「穴」、「段差」、「壊れた橋」などと記されては
いるが、気休めにしかならない。
コースには、そこら中に穴や段差だらけだし、壊れそうな橋だってたくさんあるからだ。

●8月5日

今日は、ヨーロッパ・ロシアの大都市カザンからウラル山脈を越え、
エカテリンブルグまで移動する。 スペシャルステージは、ない。
リエゾンと呼ばれる移動区間だけでも、ラリーによっては時間制限を設ける場合があるが、
ブリーフィングで主催者からそれもないことが告げられ、
参加者の間に弛緩した空気が流れた。 984kmを、ただ移動するだけだからだ。
これがヨーロッパ諸国ならば、高速道路を使って一気に移動することができるが、
そんなハイスピードを出せないM7を延々と行かなければならない。
 
2003年当時と較べて、ロシアが大きく変わったものをもうひとつ挙げると、
ヨーロッパの国々のように道行くクルマが昼間からヘッドライトを
常時点灯するようになった。
トラックも乗用車も、最新のドイツ車だろうがポンコツのモスクビッチだろうが、
必ずみんな点灯している。法律でも変わったのだろうか。
 
2003年8月にこのM7を通ってポルトガルまで行った時には
東から西へ向かったので、夕陽に向かって走る苦痛に毎日見舞われた。
ブツかってツブれた虫で汚れたフロントグラスに夕陽が乱反射し、
サングラスを掛けていてもとても見にくく、疲れた。
今回は、夕陽を背にして走るから、とても楽で助かる。
 
だが、今回の方が疲れるのは、時差だ。
東に進むにつれて実際の時刻よりも時計の針を進めなければならない。
今日は、エカテリンブルグに着いたら、2時間も進めなければならないのだ。
準備や片付けなど、やらなければならないことはいくらでもあるし、
何もなかったとしたら、少しでも早く床に就きたい。
それなのに、2時間進めるということは、今日は22時間しか使えないということだ
参加者みんな同じ条件だから不公平はないのだが、2時間分寝不足したような気がした。
 
ウラル山脈の途中には、有名なオベリスクが建っている。
そこには、“ここから西がヨーロッパ、東がアジア”と刻まれているが、
僕らは見物することなく先を急ぐことにした。
 
ウラル越えには何本ものルートがあり、今回は2003年の時とは違う、
北側の道を通った。前回よりも、傾斜がなだらかな分、時間が掛かる。
前回通った道は、アップダウンが激しく、ブラインドコーナーも多かった。
カイエン向けのルートだから、走ってみたかったが仕方がない。
 
エカテリンブルグには、ほんの8ヶ月前に行ったことがある。
ダイムラー・クライスラーのイベント「Eクラス・エクスペリエンス 
パリ北京2006」に参加した途中で宿泊した。
今回の宿泊先が、偶然にも前回と同じホテル「パークイン」だった。
部屋からの眺めも、ほぼ一緒。奇遇、奇遇。
 
SASラディソン・グループの経営によるホテルなので、
サービスもよく、レストランの食事も美味しい。
フロントでIDとパスワードをもらえば、自分の部屋で無線LANに
アクセスしてインターネットを使うこともできる。
異国の長旅では、当たり前のことがうれしく感じてくる。