Transsyberia2007 トランスシベリア 外伝-3

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル



小川さんはパリ・ダカール・ラリーに7回出場し、
他にも豊富なラリー経験を持っているベテランだ。 セミプロと呼んで構わないだろう。
だが、僕は初体験だ。自動車レースのリポートは今までたくさん書いてきたが、
自分が当事者になるのは初めてのことだ。
 
ジョージ・プリンプトンが「ペーパーライオン」を、沢木耕太郎が「一瞬の夏」を、
あるいはデニス・ジェンキンソンが「ウィズ・モス・イン・ザ・ミッレ・ミリア」を
書いた時のように、書き手自らが取材対象となり記事をまとめていくことになる。
当然、完走した上で少しでも上位を狙うわけだが、それと同時に
“取材”をして記事を書かなければならない。
 
グランドビターラがスタートした1分後、スタート係のカウントダウンで
僕らのスペシャルステージは始まった。

「じゃ、カネコさん、行きますよ。よろしくお願いします!」
小川さんのかしこまった口調で、厳粛な気持ちにさせられる。
2週間7000kmの戦いが始まったのだ。
 
1回目のスペシャルステージは、総合20位、クラス18位でゴールした。
1位は、ゼッケン2番のカイエンだ。
カルレス・セルマとヨルン・プグマイスターのドイツ人コンビ。
プグマイスターは、ドイツの週刊自動車雑誌『アウトモーター・ウント・シュポルト』の
ジャーナリストで、セルマはカレラ・カップに出場しているレーシングドライバー。

彼らのタイムは、34分15秒90。
僕らは、42分24秒43。33kmの行程で、8分以上遅かったことになる。
白樺林の中の、砂地混じりのフラットでストレートな路面が多く、
平均スピードも高かった。
だから、カイエン勢には有利なステージで、トップから14位まではカイエンが占めた。

「初のコドライバーとしては、上出来だったよ」
フィニッシュし、広場でヘルメットを脱ぎながら、小川さんに褒められた。
先行のカイエンが曲がったのが見えたので、よく吟味せずに同じところで曲がって
ミスコースして、数分間の遅れを取ったのが悔しかった。
あれがなければ、5台分順位を上げられたはずだ。

「いや、カネコさんは“ミスコースだ”って、自分ですぐに気付いたでしょ。
そこが大事なんだよ。気付かないコドライバーは、
あのままドンドン行っちゃうんだから。
8分なんて、大したことないよ。これから2週間も走るんだから」
 
小川さんは、初めてのスペシャルステージの結果に満足していた。
「途中の長い直線で、後ろから迫ってきたランクルを抜かせたでしょ。
意味もなく、争ってもミスコースするか、メカトラブルを誘発するだけだからね。
とにかく、アドベンチャーラリーでは、クルマに負担を掛けないことが大事なんだ。
ノーミスはあり得ないけど、ノートラブルだったら、他が脱落して必然的に
自分たちの順位は上がっていくから。
でも、みんなそれを我慢できないんだ。飛ばしたくなるからサ」
 
スペシャルステージから国道M7に戻るための林の中の一本道で、初めてのパンクをした。
割れたコンクリート舗装が土にメリ込んだ、ひどい道だった。
右後輪のサイドウォールが裂けている。
さきほど、路面から強い衝撃を受けた時だろう。
コンクリートの角で、やってしまったに違いない。

「ここの路面は、スチールが隠されているから気を付けろ!」
カイエンを路肩に停めてタイヤを交換していたら、後ろから来たゼッケン34番の
カイエンに乗るオリバー・ハイルが停まって、話し掛けてきた。
ハイルはシュツットガルト近郊でポルシェ・センターを経営しており、
若いカレラカップ・ドライバーのトーマス・ライトミューラーと組んで出場している。
 
オリバーの言う通り、よく見ると、ここの道路はヒドい。
林の中の道にアスファルトやコンクリートを流し込んで舗装するのではなく、
どこかで解体されたビルなのか橋なのか、何かの廃コンクリート塊を持ってきて
地中に埋め込んでいるのだ。
もしくは、流し込んだコンクリート舗装がデコボコになるまで割れてしまっている。
 
オリバーが教えてくれた“スチール”とは、鉄筋だ。
先の尖った鉄筋が剥き出しで飛び出ている。どうりで舗装がヒビ割れているかわかった。
割れているのではなく、割ったコンクリートを持ってきたのだ。
日本だったら、とても考えられない。
ロシアでは、“常識”では考えられないベラボウなことが、平気で行われている。
 
初日の宿は、ウラジミール市のホテル「ゴールデンリング」。
おそらく、ソ連崩壊後に建てられたものだろう。
西側基準の作りになっていて、ちょっと安心。小川さんと同室。
ホテルのレストランで、決まったメニューの食事を摂り、
明日のコース確認や準備などを行って寝た。
長い一日だった。