Transsyberia2007 トランスシベリア 外伝-1

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●取材メモを繰りながら

忘れ掛けた頃になって、「トランスシベリア2007」の主催者、
リチャード・シャラバーからラリーのスタートからゴールまでを
網羅した映像を記録したDVDが送られて来た。
ビデオクルーが撮影していたのは、もちろん知っていたが、
初めて眼にする光景や知らないことも撮られていた。
ラリーから、もう半年なのか、まだ半年なのか。 
夏のロシアやモンゴルとは正反対の寒い冬の東京で映像を見ていると、
ずいぶん前のことのように思われる。
リエゾン中のカイエンSトランスシベリアの助手席や、テントの中で
シュラフに潜り込みながら記したメモが残っているルートブックを取り出して来て、
DVD映像をもう一度最初から観てみよう。

●8月3日


いよいよ、トランスシベリア2007のスタート。
4日前から宿泊している巨大なコスモス・ホテルをチェックアウトし、
ゼッケン15の「カイエンSトランスシベリア」でスタート地点の赤の広場へ向かう。
参加者や主催者、関係者は全員コスモスホテルに宿泊していたので、
赤の広場へは主催者が手配したパトカー数台の先導によってコンボイ走行で向かう。
だが、列はすぐに途切れた。モスクワも大都市だから朝の渋滞がすさまじい。
近年の好景気からなのか、あちこちで工事を行っており、
迂回路を通らされたりして、バラバラと赤の広場に到着した。

ここから139km西へ走ったところで、1回目のスペシャルステージが行われる。
だから、ここからのスタートは儀式的なものに過ぎない。
モスクワの副市長が挨拶し、テレビの取材などが行われ、
ゼッケン順に広場を走り出していく。

サポートと応援のために日本から帯同していただいたポルシェ・ジャパン・
マーケティング部の牧野一夫さんと鈴木祐さんが、
いつまでも手を振ってくれるのがうれしく、心強かった。

モスクワ中心部を抜け、東へ向かう国道M7を行く。
この道は、2003年に自分のクルマでユーラシア大陸を横断した時に
逆方向から走ってきた道だ。あの時は、モスクワ市内の混雑を嫌って、
環状線を北上し、サンクトペテルブルグ方面へ進んだ。
その環状線とM7が交差するところでちょうど交通渋滞が発生し、
ゆっくりと当時を思い出すことができた。

“おそらく、こんなところまで、もう二度と来ることはないだろう”
モスクワの街に来ることはあるかもしれない。でも、環状線とM7が交差する、
東京で喩えれば国道246と環八が交差する用賀交差点みたいなところに、
それも逆方向からクルマで来るとは。 旅とは、わからないものだ。

道は変わらないが、両側の様相はかなり変化してきている。都市化が始まっている。
2003年には見たことのなかった、アメリカンスタイルの大型ショッピングセンターや
巨大ガソリンスタンドなどがロードサイドに続々と建てられている。
みんなピカピカで新しいから、この数年のうちに建てられたものだろう。

もうひとつ4年前と大きく違っているのは、携帯電話の普及だ。
モスクワ市内でも、日本や中国、欧米諸国などと同じように、
携帯電話で話しながら歩いている人が多い。
M7の赤信号で停まったら、歩道にいた子供に携帯電話で写真を撮られた。
こんなことは、4年前には想像もできなかった。

モスクワ全体が、“バブル”な雰囲気を漂わせている。
モスクワ到着翌日に、赤の広場に下見に行った時に、
広場の向かい側にあるケンピンスキー・ホテルの前を通った。
ケンピンスキーは、ドイツ系の高級ホテルチェーンだ。
ホテルのエントランスの前には、これ見よがしに高級車が停められていた。
ロールスロイス・ファンタム、マイバッハ63、メルセデスのSやGクラスのAMG版、
ポルシェ・カレラGT、アストンマーティン・ヴァンキッシュ、フェラーリ599と
612スカリエッティ、各種ベントレー等々。みごと、2000万円以上のクルマ
しか並んでいなかった。スーパーカーショーじゃないんだから。