Transsyberia2007 トランスシベリア モンゴル-3

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●多発するアクシデント

お互い、首と腰に痛みを抱えながらも、僕らはマンクハンからダルヴィまでの
スペシャルステージ330kmを走り切ることができた。
ゴール後、少し離れたところに待機しているトラックから、 ガソリンを給油する。
ここに限らず、モンゴルのスペシャルステージのゴールでは、辺りには何もないので、
主催者がガソリンを満たしたドラム缶をたくさん積んだトラックを手配してあるのだ。
 
ジャーッ。
位置に着け、エンジンを切った途端に、ボンネットの下から何かが滴り落ちてきた。
真っ黒いエンジンオイルだった。
勢いは止まず、ほぼすべてのオイルを流出させて、停まった。
覗き込んでみたが、折れ曲がったアンダーガードの脇から滴り落ちてくるので、
損傷したところはわからない。
いずれにせよ、さっき溝に落ちた時に打ち付けたことが原因に間違いないだろう。

「せっかく無傷でここまで来たんだけど」
アドベンチャーラリーでは、飛ばしてクルマに負担を掛けてトラブルを誘発するよりは、
壊さずにどれだけ走り続けられるが勝敗を決するといつも口にしていた
小川さんにとって、望ましくない事態が発生した。
「ここじゃ直せないから、とりあえずキャンプに運んで、
ポルシェのメカニックと相談しないと」
 
エンジンオイルがすべて流出してしまったので、走らせるどころか、
エンジンも掛けられない。
幸い、僕らの次に給油の順番待ちをしていたドバイ・チームの
カリームとブレアに牽引してもらえることになった。
 
ここからキャンプまで約100km。エアコンが使えないので、
窓を開けて引っ張ってもらう。
それまでキレイだった車内は、一発で泥まみれになった。
早くキャンプに行って、休みたいところなのに、
カリームとブレアは快く牽引を引く受けてくれた。
 
2時間以上掛かってキャンプ地にたどり着いても、まだ、多くが到着していない。
遅れているチームの動静について、みんなで情報交換し合う。
中でも、カナダチームのクラッシュは深刻そうだった。僕らと同じように、
草原でスパート中に、縦に転び、3回転したらしい。
途中でエンジンマウントが千切れ、V8エンジンはフードを突き破り、
100メートル先まで飛んでいった。
ドライバーのローレンス・ヤップは
6点式シートベルト付きのバケットシートに換装してあったので、
生命に別状はないらしいが、救急車で遠くの病院に運ばれた。
 
その晩のブリーフィングは、厳粛なものとなった。
ローレンスの他にも、クラッシュして怪我を負ったドライバーが
何人かいたことが明らかにされた。
元WRCドライバーのアーミン・シュワルツやカレラカップ・ドライバーの
セルマ・カーレスなど優勝候補の連中も、派手にクラッシュしたらしい。

「ダメージを負っているチームが多く、コースコンディションも厳しい。
明日のコースで今日のようにアクシデントが連続すると、
救急車が救援に向かえないので、明日のスペシャルステージはキャンセルする」
 
オーガナイザーのリチャード・シャラバーから、キャンセルが発表された。
いつもは、地面に寝転がったり、何か食べながらビリーフィングに参加していた
選手たちも、この時は全員立ち上がって聞き込んでいる。
そして、すかさず質問を発したのが、往年の名ラリードライバーの
サイード・アルハジャリだった。
「モータースポーツにアクシデントは付きものだが、
オーガナイズの不手際が多いのではないだろうか。
例えば、コース上の危険なところについての情報を事前に開示してくれていれば、
今日のアクシデントのいくつかは防げたはずだ。
我々は、モスクワからウランバートルまで競走をしに来たのだ。
オーガナイザーの不手際の度にスペシャルステージがキャンセルされたのでは、
たまらない。我々は、ピクニックに来たのではない」
参加者全員から大きな拍手が起こった。
 
アルハジャリは1986年にエジプトで行われたファラオラリーに
ポルシェ959で総合優勝している。
小川さんは、同じラリーに三菱パジェロで出場していた。
ふたりは再会を喜び、僕はアルハジャリに質問してみた。

「オフロードドライビングで一番大切なものは、眼だ」
アルハジャリは、両方の人指し指で自分の眼を指し示した。
「自分の走る方向をよく見て、認識することだ。ただ飛ばすだけじゃ、ダメだ」
そう言うと、今度は右手で自分の左スネを叩いた。
いつも、にこやかに微笑みを絶やさず、
優しい眼差しのアルハジャリの眼光が一瞬、鋭くなった。
オーガナイザーの不備を批判するのと同時に、
無闇矢鱈と飛ばしてクラッシュしている参加者たちをも戒めているようだった。
砂漠の王者は、すべてを見通していた。
 
夜遅くにキャンプに到着したポルシェのサポートトラックに駆け寄り、
エンジンオイル漏れの修理を依頼する。
「先に取り掛からなければならない修理が終わったら着手するから、
そこに移動しておいてくれ」
 
5、6名いるポルシェのメカニックは、タフだ。
ラリーカーと同じルートを移動しながら、道中で、キャンプで、
早朝から深夜まで眠る間もなく修理に追われている。
明朝8時のスタートに間に合わせてくれることを祈ることしか、
もう僕らにできることはない。
泥だらけのカイエンを動かし、シュラフに潜り込んだ。

明朝6時、起床。真っ先にカイエンの元に駆け付けると、
メカニックたちはすでに作業を始めている。
「あれから、オイルパンの溶接を始めて、午前2時まで掛かったよ」
僕らのカイエンは修理完了していたので、胸を撫で下ろし、
メカニックに礼を言いながら、8リッターのモービルワンを注ぎ込んだ。