Transsyberia2007 トランスシベリア モンゴル-2

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●ハイスピードの犠牲


ディッチを抜け出してからは、小川さんは快調にカイエンを飛ばした。
見晴らしは良く、路面は固い砂地。時速100キロをコンスタントに維持している。
ルートも、トリッキーな設定ではなさそうだ。10キロ以上先だろうか。
ルート上とおぼしき遥か先を、狼煙のように上がった砂煙が何本も移動している。
僕らの他には、自動車をこんなに高速で走らせている地元のクルマはいないはずだから、
ラリーカーに違いない。小川さんは、さらにペースを上げる。
 
長い斜面を上がり切って視界が開けたところで、
2台のカイエンが路肩に停まっている。
傍らでは、コロンビアチームのクラウスが路上で腕を上下させ、
スピードを落とせといっている。
「コースアウトして、斜面にクラッシュした。オレもクリスチャンも、大丈夫だ」
とは言ったって、もう一台のオーストラリアチームの
ポール・ワトソンがカイエンの脇の地面で寝転がっているじゃないか。
彼は大丈夫なのか?
「胸を強く打ったみたいだ。救急車と連絡が取れて、こっちに来てもらっている。
大丈夫だから、先に行け」
 
2台は衝突したのではなく、たまたま同じところで単独にクラッシュしたらしい。
飛ばし過ぎてコントロールできなくなったのだ。
 
その気持ちは、よくわかる。多少の凹凸や石、
ブッシュなどを掻き分けながらとはいえ、
見晴らしの良い荒野のどこをどう走っても構わないのだ。
ましてや、乗っているのは385馬力&4輪駆動のカイエンSトランスシベリアだ。
スピード制限も、走行区分も、一時停止もない。警官だって、もちろんいない。
クルマに乗って、こんな自由は今まで感じたことがなかった。
あらゆるものから解き放たれて加速していくことの快感にヒリヒリしてくる。
 
その代わり、縦横無尽にフィールドを駆け回っていながらも、
身を守るためにつねに五感を働かせて細心の注意を払っている獣のように、
危険は自分たちで察知し、遠避けなければならない。
自由の分だけ自衛する必要がある。
 
獣の代わりに僕らが持っているのは、カイエンと最新のGPS「ガーミン60CSX」だ。
GPSは地球の周りを周回している12個の人工衛星からの電波をキャッチし、
地球上の任意の2点間の距離と方位を正確に割り出す。
トランスシベリア2007では、ルートブックにおおまかに記された
目標物を目印にし、GPSが示す方位と距離、標高や緯度、
経度などを参照しながら、ウェイポイントを通過していく。
 
カーナビはGPS機能を用いて、それに詳細なマップソフトを組み合わせたものである。
2点間の距離と方位を示すのに加えて、
途中のどの道を進めば良いのかを演算して教えてくれる。
僕らが使ったガーミン60CSXには、その類いのソフトウェアが組み込まれていないから、
2点間をどう進むかを自分たちで判断しなければならない。
ルートブックとGPSを使い、目の前の荒野や山や川などの、どこをどう走り抜けるか。
その解釈と判断が、勝負どころとなる。
 
僕はラリー初体験だったが、モンゴルに入った頃にはGPSの使い方も、
おおよそマスターできるようになっていた。
GPSが示す最短距離の方角上に、山がそびえていたり、
ブッシュが生い茂っていたり、何かしらの障害物が目の前に現れた時に
どれだけ迂回して、いつ方向転換すれば良いのか。
ヨットの進み方や三角関数を頭に思い浮かべて、
なるべく最短距離に近くなる理想的なラインを追い求められるようになっていた。
しかし、理想に近付けば近付くほど、
リスクが増してくることには気が付いていなかった。

「なるべく、ワダチを走るよ。ワダチは先行車だけじゃなくって、
地元のクルマが通った跡でもあるから、リスクが少ないからね」
ドライバーの小川さんは運転に集中しているから、
走行ラインをどう採るかは関知しない。いかに速く、
クルマを壊さずに運転することに全力を挙げている。
 
理想を追い求めるか、リスクを避けて現実をなぞるか
ドライバーとコドライバーの思惑が交錯するところだ。
「大丈夫? じゃあ、最短距離を行ってみよっか」
 
ワダチは最短距離から大きく迂回しているので、少し外れて走るだけで、
大幅に距離を短縮し、タイムを稼げるはずだった。
小川さんは右足に力を込め、カイエンを加速させた。
ワダチは消え、背丈30、40センチぐらいの短いブッシュの上を、
再び時速100キロ近くで疾走する。
一瞬、身体が軽くなった。と同時に、カイエンは宙を舞い、
フロント部分から地面に叩き付けられた。

グワッシャーンッ。
ブッシュが同じ背丈で生えていたので、
深い溝を飛び込んだのがわからなかったのだ。
ダァーン。ガギガギガギッ、
落下の衝撃も大きかったが、身構えていなかったがゆえに、
首が軽いムチ打ち症だ。小川さんは、腰に来たらしい。
愚かにも、僕が最短距離を行くことを提案した結果が、
災いした結果だ。
 
幸いにして、カイエンは変わらず走り続けてくれている。
再び、ワダチに戻って走り続けることができた。