Transsyberia2007 トランスシベリア モンゴル-1

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●移動しながら競い合う

国境を越えてロシアからモンゴルに舞台を移すと、
トランスシベリア2007ラリーは、競技の様相を一変させた。
 
国境の街オルギーから、ゴールのウランバートルまでの約2500kmの
ほとんどすべての区間がスペシャルステージとなるのだ。
 
ロシアでは、8日間約4500km中の3日間中の合計わずか95kmが
スペシャルステージだったに過ぎない。
それが、モンゴルでは8日間(休日を1日含む)中6日間で合計1863kmが
スペシャルステージとなるのだ。
 
これが何を意味するのか?
ロシアでは、山や森の中に特設された“スペシャルステージ会場”へ移動し、
数十kmの競技を行った。
例えてみれば、僕らが日本で鈴鹿や富士スピードウェイなどの
サーキットで行われるレースに出場するようなものだ。
日常の交通状況から、いったん切り離したところでコンペティションが行われる。
 
だが、モンゴルでは、キャンプからキャンプへの移動がそのまま
スペシャルステージなのだ。
鈴鹿や富士でレースをするのではなく、東京から名古屋、日によっては 大阪ぐらいの
距離を移動しながら、競い合うことになる。
ウランバートルまでの移動行程すべてが、スペシャルステージだ。
ステージ中の数十キロだけ速く走れればいいというものでは
済まず、朝にキャンプを出発して、夕方頃に次のキャンプに到着する6から8時間、
時にはそれ以上を競い合う。

道路があるわけでなく、走る場所は、草原だろうが、岩場だろうが、
河原だろうが関係ない。ありとあらゆるところを走る。
つまり、「どこを、どう走っても」構わない。
その代わり、「どこを、どう走るか」の判断を誤ると、スタックやパンクに見舞われる。
その判断を下すのが、コ・ドライバーの主な役割のひとつでもある。
 
モンゴルでの1回目のスペシャルステージは、
オルギーからマンクハンまでの295km。
どんなコースなのかは、ラリーの主催者しか知らない。
選手たちは、みんな初めて走るところだから、何も知らない。
すでに手渡されているルートブックのモンゴル編は、
ロシアのそれよりも簡素なものになっている。
「電柱の手前側を直進せよ」といった簡潔な指示の横に、
幼稚園児が描くような手書きの電柱が何本か並んでいる
手前に矢印が記されているだけ。
大雑把で、ラフな指示しかなされていない。
こんな簡単なものじゃ、使い物にならないじゃないか!?
不安ばかり言っていても始まらない。他のチームだって、同じ条件なのだ。
 
モンゴルでの1回目のスペシャルステージのルートブックを繰っていくと、
スタートして5km行ったところに、「ディッチditch」と太い線が記されていた。
ディッチの意味が分からず、携帯電話に内蔵されている
英和辞典にも記載されていなかったので、
シンガポールから参加しているプラディップ・ポールに訊ねてみた。
「ディッチは、幅の狭い川という意味」
 
水が流れているかどうかは行ってみなければわからない。
スタート地点から、踏み固められた土の上を、ドライバーの小川義文さんは
エンジン全開でポルシェ・カイエンSトランスシベリアをスパートさせていた。
見晴らしがよく、路面に石や岩が少なく、進むべき方向も明らかなので、
小川さんは遠くの地平線に向けてカイエンにムチを入れる。

ウエイポイントである、石を泥で塗り固めた塀が見えてきたので、
ゆっくりと速度を落としながら、端まで行って向こう側に回り込む。
背丈ぐらいの薮が続く先に、ディッチが横切っているはずだ。
GPSは目標物との距離をセンチ単位で表すことができるほど正確だが、
どのように潜んでいるかまでは教えてくれない。 
薮を抜けると、スズキ・グランドビターラの一台が、
つんのめるようにして前輪をディッチに落とし、スタックしている。
 
僕らは、なるべく越えやすいところを探すために、ディッチ沿いにゆっくりと走らせた。
グランドビターラから数百メートル離れたところが幅が狭くなっていたので、
そこを突破することにした。念のために、僕が降りて、ディッチを探ってみる。
幅は50、60センチ。両側とも踏み固められた平坦な砂地だ。水が流れている。
この幅なら、カイエンの18インチタイヤが難なく踏み越えられるだろう。
 
だが、それは目論み違いだった。
小川さんをディッチに対して少し斜めの進入角度に誘導し、
前輪が越えたところまでは良かった。
前輪がディッチを越えた際に上げた流れの水が岸沿いの草を濡らし、
後輪を滑らせている。
少しバックさせて勢いを付けても、後輪は滑り続けるだけだ。
 
小川さんは、カイエンから脱出用のステンレス製の導板を取り出し、
草とタイヤの間に押し込んだ。僕はスコップで後輪の周りの砂を掻き出す。
固い地面が、思いのほか掘れている。
 
僕らよりも後からスタートしたラリーカーが、
僕らの脇を一台、また一台と通り過ぎていく。
彼らは、ディッチに対して大きく角度を付けて進入し、渡り切っている。
僕らは、それが足りなかった。
 
導板がタイヤにうまく喰い込まず、後輪は砂地にどんどん埋まっていく。
もっと角度を付けて小川さんを誘導するべきだったという後悔と、
掻いても掻いてもなくならない重たい砂に、焦ってくる。
 
と、格闘している僕らの横に停まってくれたのが、
メルセデスベンツGD250でスペインからプライベート参加しているアギラ親子だった。
お父さんは250GDのテールゲートを開け、牽引ロープを手にしている。
「引っ張り出そう」
 
ハンドルを握っている息子のホセが窓から顔を出しながら、
ゆっくりとカイエンを引き上げてくれた。
彼らとは、ロシアとモンゴルの国境通過で長い時間待たされている時に
立ち話をして、親しくなった。
バルセロナで、父はレンガ工場を経営し、息子は弁護士。
親子ともにモータースポーツは初めて参加するが、
息子はアフリカ縦断やサハラ砂漠横断など、クルマで長距離旅行をするのが好きだ。
僕は一年前にバルセロナを訪れていたので、
「ランブラス通りのバルで、ハモンセラーノを肴にリオハで一杯やったよ」と、
他愛もない世間話をしただけだった。

「ムチャスグラシアス。じゃあ、キャンプで会おう。アディオス」
GD250はディッチを斜めに横切り、ガラガラガラッというディーゼルの排気音を残して、
戦線に復帰していった。
「カネコさんが彼らと仲良くしていてくれたんで、助かったよ」
親子が偶然、僕らのそばを通った幸運と彼らの善意に感謝して、僕らもすぐに後を追った。