Transsyberia2007 トランスシベリア 国境-3

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●眼前の山を右から回るか、左から回るのか?

リエゾンの連続は、車内の緊張感を欠く。
それはそうだろう。
ラフロードを全開加速し、カクテルシェイカーの中に入ったかのように揺すられ、
車外に見えるものすべてをヒントにして行き先を決めなければならない
スペシャルステージに較べてみれば、タイムリミットのないリエゾンは退屈だ。
 
それでも、僕と小川さんはロシアのリエゾンを楽しんだ。
ペースを落として走っている時には、車内もうるさくならないので会話も弾む。
お互いの生家が近かったので、昔の東京の街について共通の話題が見付かって
盛り上がったりしていた。
だが、楽しいドライブも、いきなり中断を余儀なくされた。
 
ピ~ピ~ピ~。
警告音が鳴り、メーターパネル内に“シャシー・アクシデント”と表示が出た。
と同時に、ゴムの焼ける匂いが。
 
ノボシビルスクからコシュアガシュに向かう山間部に入って、
しばらく走った未舗装路で、パンクした。
カイエンSを路肩に寄せ、降りて見てみると、左リアタイヤがパンクしている。
サイドウォールが、鋭利なナイフで一掻きされたようにスパッと裂けている。
 
トランクスペースに積んであるスペアタイヤとジャッキを降ろすために、
私物のバッグ、工具箱、カメラ、パソコン、テント生活用食料、
水などの荷物をすべて降ろす。
路面は砂利だから、出発前に東急ハンズ新宿店で切ってもらってきた
ジャッキ下敷き用の板も取り出して、タイヤ交換を始める。
 
リエゾン区間だからよかったけれど、
スペシャルステージだったら、面倒臭いことになるナ。
 
嫌な予感は的中して、僕らのゼッケン15番号カイエンSトランスシベリアは、
この先、パンクの連続に見舞われることになるのである。
 
タイヤを交換し終え、ホッと一息ついて、すぐ横の崖を見ると、
岩が層状に割れている。
割れた岩が石となり、路肩に散らばっている。
何千年だか何万年だか掛かってミルフィーユのように割れた岩の
エッジはナイフのように尖っていた。
 
どこの国でも、陸路で国境を越えるのは少し緊張を伴う。
ロシアからモンゴルへの国境越えも、ラリーのオーガナイザーは神経を遣っていた。
全車を一列に並べさせ、まとめてロシアを出国し、
そのまま他のクルマに間に入られることなく、モンゴルに入国させようとした。
 
だが、クルマの登録書類の書式がバラバラだったり、
書類を提出する順番を守らなかったりして、簡単に運ばない。
ロシアのパスポートコントロールと税関も、僕らは出国する者なのに容赦はなく
記入に不備があったりすると、厳しく指摘して、やり直しを命じた。
混乱する僕らと係官の間に入って、指示を出してみんなを助けたのが
コロンビア・チームのクリスチャン・フェイルファイファーだった。
モンゴルに入国して、お礼かたがた、出入国やクルマの通関作業に
詳しいわけを訊ねると、コロンビアでポルシェとトヨタを
輸入する会社を経営しているという。詳しいわけだ。
 
クリスチャンの尽力もあり、ラリーカーは無事に国境を通過してモンゴルに入国した。
今日からゴールのウランバートルまでは毎日、移動しながら草原でテント泊だ。
スペシャルステージも毎日予定されている。
ロシアでのそれのような20~30kmの短いものではなく、
短くて295km、長くて428kmもある。
その分、リエゾン区間が100km以下と極端に短い。
つまり、次のキャンプ地までの移動しながらタイムを競うことになるわけだ。
閉鎖された森の中の人工的に作ったステージで争っていたロシアと、
まったく違う戦いになる。
 
国境を通過した翌日も、オルギーに止まった。
ラリー中唯一の休日だ。
痛んだラリーカーに手入れをしたり、必要な物資をオルギーの街まで
買い出しに出掛けたりしている。
幸い、僕らのゼッケン15番はこの時までは
クルマにダメージはないので少しだけ気が休まる。
小川さんはカイエンS各部のチェック、僕はルートブックの確認に専心した。
チェックポイントの緯度と経度から、ルートの概念図をノートに書き出し、
イメージをつかもうとした。
 
どこで手に入れたのか、イギリス・チームのニール・ホプキンソンは
モンゴルの詳細な地形図をカイエンSの上に拡げて何かやっている。 覗き込むと、
緯度と経度から割り出したウェイポイントの位置をマッピングしていっている。
 
原理的には、僕とニールは同じことをやっているのだが、
大きなアドバンテージにはならないだろう。
なぜならば、モンゴルでのスペシャルステージは文字通りの“道なき道”を
走ることになるから、地図を持っていても、あまり役立たないからだ。
 
例えば、ウェイポイントが北東10km先にあることまではGPSが正確に示す。
しかし、手前に山があったり、河が流れていたとする。
山を右から回るのか、左から回ればいいのか。
あるいは、河のどこを渡ればいいのかはGPSもルートブックも教えてはくれない。
それを判断するのがラリーの競技の本質で、コ・ドライバーの役割なのだ。
 
モンゴルでの1回目のスペシャルステージは、マンクハンまでの295km。
ミニマムタイムが3時間、マキシマムタイムが6時間。
6時間を越してゴールすると、ペナルティが課せられる。
 
小石混じりの土が地平線まで続く原野に向けてスタートする。
地元のクルマが通った轍を探りながら走らなければならないから、気を抜けない。
轍を外して近道を取ることもできるが、岩や穴が隠れているからリスキーだ。
 
轍は、この辺りの人々の乗るクルマのトレッド幅に忠実に掘られるから、
カイエンSでは、左右タイヤのどちらかが轍の土手に乗り上げてしまうことになる。
轍がカーブしていたり、土中に埋もれている鋭い岩などは、
とても運転席と助手席から見分けられるものではない。岩や石を見付け、
ハンドルを切って前タイヤで避けることはできる。
しかし、後タイヤは内輪差で踏み付けてしまう。
轍のすぐ脇が断崖になっていたりすするから、もう避けられない。
 
結局、同じような状況で2回パンクした。
車内に積んであるスペアタイヤ2本を使い切った。
ゴールまで、あと2kmと迫ったところで、三度、警告音が鳴った。まさか?
 
スペアタイヤは、もうない。パンク修理材は持っているが、2本とも、
ホイールリムまで曲げてしまっているから、エアを充填することはできない 。
リタイヤするしかないのか……。
 
小川さんと途方に暮れていたところに、彼方からクルマの近付く音が聞こえてきた。
エディたちだ!
 
ジャッキアップしたカイエンSの傍らで立ち尽くしてた僕らを見つけた彼らは、
停まって降りてきた。
「オレたちのスペアタイヤを1本貸そう」
 
ロシア2回目のスペシャルステージで水没したエディたちを助けた僕らが、
今度は助けられる番になった。これで貸し借り帳消しだ。スッキリした。
リタイヤすることもなく、大幅なペナルティを喰らわずにも済んだ。
ラッキーだった。