Transsyberia2007 トランスシベリア 国境-1

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●ずっとリエゾン

アドベンチャーラリーは、なかなか予定通りには進行しない。
「トランスシベリア2007」ラリーの3回目のスペシャルステージは、
エカテリンブルク郊外の森の中で行われる予定だった。
が、全車が現場に到着し、スタートを前にしたブリーフィングで、突如、
オーガナイザーからキャンセルが伝えられた。
「コース設定した時と較べて、状況が過酷なものに変わった。
雨が多く降ったことで、地盤が緩み、マディな路面が増えた。
今朝、試走したところ、とても過酷なものだった」
 
白樺林の中の広場にラリーカーを停め、オーガナイザーの周りに集い、
僕らはハンドマイクからの状況説明に耳を傾けた。
「我々は、4500km彼方のウランバートルを目指さなければならない。
ここでスペシャルステージを強行しても、クルマを壊す可能性がとても高い。
それでも走ってみたいという人は、どうぞ」
 
ロシア最後のスペシャルステージがキャンセルされたことで、
次のスペシャルステージはモンゴルに入ってからとなった。
モンゴルとの国境を越えるまでの残りの4日間は、すべてリエゾンだ。
リエゾンはスペシャルステージをつなぐ移動区間のことだが、
ラリーによってはタイムリミットが設定されている場合がある。
 
だが、トランスシベリア2007では、タイムリミットを設定しないという。
となると、余計に、ロシアでの残りの4日間は退屈な移動だけとなる。
今日の宿泊地チュメンまで263km。以後、オムスクまで616km、
ノボシビルスクまで666km、コッシュアガシュまで845km、
国境を越えてモンゴル最初のキャンプ地、
オルギーまで286km。
「退屈なのは、みんな同じ。一番避けなければいけないのは、意味のないアクシデント。
急ぐ必要はなくなったのだから、クルマを壊したり、怪我したり、
体調を壊さないようにしないと」
ドライバーの小川義文さんは、慎重かつ実戦的だ。
 
エカテリンブルクから先は、僕らはロシアの国道M7を、東へ進んでいく。
この道は、4年前に反対方向から走ってきたことがある。
旧々型のトヨタ・カルディナを富山の伏木港からフェリーに乗せ、
ウラジオストクからロシアを横断してユーラシア大陸最西端の地、
ポルトガルのロカ岬まで走った時に通った道そのものだ。 
M7は、白樺林が点在する草原を貫く、片側1車線ないし2車線の舗装路。
舗装はされているが、クオリティは低く、
ひび割れや穴、凸凹などが当たり前のように続いている。
それでも、バイカル湖畔のイルクーツク市以東の極東シベリア地方に較べれば、
まだマシだ。
 
ラリーの準備段階で、小川さんからロシアのガソリン事情について質された。
「ハイオクでもオクタン価88や86ぐらい。日本や欧米のような93や98などは、
見たことがありません。田舎には、ガソリンスタンドが存在しないところも多い。
でも、タンクローリーから直に売っているところがあるので、
オクタン価さえ選ばなければ給油できないことはありませんでした」
 
そう答えていたが、M7沿いのスタンド事情が一変しているのに驚かされた。
大型の、日本や欧米スタイルの真新しいガソリンスタンドがたくさん新設されていたのだ。
新しいから、オクタン価93のハイオクタン・ガソリンにも困ることはなかった。
 
ガソリンスタンド事情は改変されていたが、道路や周りの景観には、
あまり変わりはなかった。
うれしいことに、4年前に旧々型カルディナで通った時に立ち寄って
昼食を摂ったM7沿いの食堂を憶えていて、変わらず営業していた姿を
確認できたことだった。

「なぁんだ、言ってくれれば、そこでお昼を食べたのに」
だいぶ過ぎてから食堂のことを口にすると小川さんは惜しがった。
代わりに、同じような食堂に入って、シャシャリクと呼ばれる肉の串焼きを勧めた。
シャシャリクはハーブやスパイスを擦り込んだ牛や羊の肉を串に刺し、
炭火で焼き込んだもの。
M7だけでなく、ロシアの街道沿いのいたるところで食べることができる。
新鮮な肉に染み込んだ香辛料のほろ苦く鮮やかな味は、他では得られないものだ。