Transsyberia2007 トランスシベリア ルドヴィッヒスベルグ

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●準備不足の不安



ライプチヒでの合同トレーニングを終えた翌週、小川義文さんと僕は、
いつものようにウエスト青山店で作戦会議を開いていた。

「やっぱり、クルマを“自分たちのもの”にできないまま帰ってきたのが気になるなぁ」
僕らは、自分たちで簡単なラリーカーの整備を行うようなことができないまま、
モスクワでの8月2日のスタートを迎えることを大いに心配していた。

ライプチヒでは、オンロードでもオフロードでも、ラリーカーである
「カイエンSトランスシベリア」を運転することはできた。
でも、ホイール交換やエアクリーナー清掃など、
ラリー中に間違いなく行うことになるであろう最低限のことすら
予行演習することはできなかった。

専用のアルミボックス2個を開け、一杯に詰め込まれた工具類を見て、
写真を撮ることはできたが、それらを駆使して、何か作業を行ったわけではない。
この違いは大きい。

「アクシデントに遭わなかったとしても、
必ずやらなければならない作業は発生しますからねぇ」

シュノーケル式のエアインテークは、河川や深い水たまりなどだけでなく、
モンゴルの砂漠を走る時にエンジンに砂を吸い込ませないために、
ボンネットとAピラーに組み付けなければならない。

タイヤを交換するにしても、太いタイダウンロープで固定されている
スペアタイヤを外し、これもフロア下に固定されているジャッキを外して、
決して軽くはないカイエンSトランスシベリアを持ち上げる必要がある。

ジャッキはフロア下のどこに固定されているのか?

ジャッキアップポイントはどこか?

真っ平らなアスファルトでタイヤ交換ができるとは限らない。
砂漠じゃジャッキは埋まってしまう。

ラリー中、それもスペシャルステージ中に何かが起こったら、
1秒でも短く作業を終えなければならないのだから、
クルマと工具に習熟していなければならない。
それには、工具を手に取って、実際にシミュレートしてみるしかない。

「イタリアチームみたいに、本当はライプチヒから日本まで乗って帰って
来たかったくらい。
そうすれば、ボディや足回りの補強も追加して行うことができる。
日本地図のチップを入れ替えてガーミンのGPSにも慣れることができるだろうし、
充電用インバーターやヘルメットのインカム用アンプの取り付けも確実に行える」

ドライバーとしてパリ・ダカールラリーに7回出場しただけあって、
小川さんの指摘はすべて実戦的だ。
たしかに、工具や道具は何度か使ってみなければわからないし、
競技中のアクシデントは焦りを誘発するだろう。
ライプチヒの合同トレーニングでは、アクシデントへの対処方法を
ほとんどシミュレートできなかった。

しかし、現実的にはカイエンSトランスシベリアはライプチヒの
カイエン・ファクトリーからシュツットガルトのポルシェ本社に移され
保管されているわけだから、東京で思案していも何も始まらない。
「カネコさんの次の出張の予定はいつ?」

●シュツットガルトでチェック&テスト



幸い、僕らはほぼ同時期にヨーロッパに取材に行くことになっていた。
予定を少し変更して時間を作り、シュツットガルトへ
向かうことができるのである。

そこから各方面と算段して、シュツットガルト・
ルドヴィッヒスベルグのポルシェのファクトリーに赴くことになった。
研究開発のヴァイザッハ、911とボクスターを生産している
ツッフェンハウゼンから少し離れたルドヴィッヒスベルグには
営業などの事務部門が集まっている。

倉庫には、ほぼ3週間前にライプチヒで別れた、
チーム・ポルシェジャパンの「STS2613」が待っていた。
トレーニングで泥にまみれたままだった
黒地にオレンジのボディもキレイになっている。

クルマを持ち上げてフロア下やサスペンション
点検できるリフトや大型工具なども揃っている。

さっそく、2シーター化されたカイエンSトランスシベリアの
リアシートに積まれているものをすべて降ろしてみる。
工具箱ふたつ、スペアタイヤ2本、ウインチ、シュノーケル、
テント2張り、キャンプ用品等々。

20インチの大径タイヤとフロアに固定されたウインチが、
ラゲッジスペースの半分以上を占めている。
ラリーを戦うと同時に取材活動をしなければならない僕らの
仕事道具であるカメラやパソコンなどを、どこにどう、
振動と砂をプロテクトして収めるかも重要な検討材料のひとつである。
「砂漠じゃ、エアクリーナーはすぐに詰まっちゃうから、交換しないとね」

ロシアを横断した時にも、僕のトヨタ・カルディナのエアクリーナーは
ホコリと虫の死骸で一杯になっていたことを思い出した。

どんなクルマのエアクリーナーも、だいたい弁当箱のような
クリーナーボックスのフタを開けるとフィルターが入っていて、
それを取り出し、弁当箱をクルマから外して引っくり返せば、
掃除は完了することになっている。
 
ところが、カイエンSトランスシベリアのエアクリーナーは、
まず第一にエアクリーナーボックスの上にインテークマニホールドが
被さっていて、簡単には外せない。
工具ボックスからレンチやスクリュードライバーを取り出してきて
そっちに取りかかる。面倒臭せぇなァと思いつつも、
“ああ、こういうことをするために、わざわざここに来たんだよナ”と、
自分の行動に確信が持てた。

インテークマニホールドを外してズラし、
クリーナーボックスのフタを取ることはできたが、フィルターを外せない。
ボックスから2本のパイプとコードが生えていて、
フィルターまで指が届かない。
クリーナーボックスも狭い空間に押し込められているから
、空間の自由度が非常に狭い。
「これは、トランスシベリア・ラリー用のスペシャルだから、難しいんだ」

僕らのチェックにつき合ってくれた、
ポルシェのウォルフガング・フォン・デューレン氏も、
フィルターを交換するのは諦め顔だ。
「フィルターを交換する必要はない。
君らが心配しているエンジンオイル交換も必要ない。
サスペンションの増し締め!? 全然必要ないよ」

ふだんはカイエンの品質管理に携わり、昨年のトランスシベリア・ラリーに
旧型カイエンで総合優勝を果たしているユルゲン・ケルン氏は、
僕らの心配を一掃するかのように答えた。

「ポルシェは、カイエンSトランスシベリアに絶対の自信を持っている。
6500キロぐらいのラリーは、ストックのまま走り切ることができる。
その点については心配しないでもらいたい。
でも、ラリーだから、然るべきルートの取り方と走り方をしてもらってのことだがね」

優しそうなケルン氏だが、最後のひとことがすべてを表現していた。
カイエンSトランスシベリアは完璧だが、
すべてはドライバーとコドライバーに掛かっているのだよ、と。

秘密兵器として東京から持ち込んだエアジャッキをうまく作動させられなかったり、
ガーミンのGPSを完璧にマスターできたわけではない。
それでも、時間を作ってルドヴィッヒスベルグまで来た甲斐があった、と僕は思った。
「ユルゲンの言っていることはもっともだけれども、それでいいのかな?」

最新鋭のオフロード4輪駆動車であるカイエンSトランスシベリアのハイテクに
ドライビングを委ね、マシンのメインテナンスは心配する必要がないという
ユルゲンの言葉に、小川さんはうなずきつつも、もどかしそうな様子だった。 

“ラリーでは、経験がモノを言う”といつも口にしている自身の“経験”を、
ドライビングにもトラブル処置にも生かせないかもしれないからだろう。
それほど、カイエンSトランスシベリアのハイテクは、スゴいのか。
実戦に出てみないとわからない。

カイエンSトランスシベリアという最新鋭のオフロード4輪駆動車と、
“パリダカ7回その他出場”の小川さんの経験。
ふたつが有機的に組み合わさることで好結果がもたらされるのだが、
今昔の違いがどう顔を出すのか、興味深い。
コドライバーなのに、ちょっと傍観者的に考えたのは僕にラリーの経験がないからだろう。