Transsyberia2007 トランスシベリア ライプチヒ

2007年8月 ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル


●ライプチヒでのトレーニング

円錐形を逆さにした超モダンな建物は、ポルシェのビジターセンターだ。
向かって右側の平屋の巨大な建物が、カイエンの工場。
911シリーズは本拠地のシュツットガルトで生産されているが、
2002年からカイエンを作り始めるにあたって、
ポルシェは旧東ドイツ圏のライプチヒに工場を新設した。

ビジターセンターの内部も外側に負けないほどモダンだ。
逆円錐の中心部分に大きなエレベーターが貫通し、3階で降ろされる。
ロビーや踊り場のようなものは存在せず、椅子の並べられたホールに直接入る。

ここに集められた52名が、「トランスシベリア・ラリー」の参加者たちだ。
今日から4日間、ここでポルシェによるトレーニングが行われる。
ラリーの主催者はMAIというドイツのラリークラブだが、
市販のカイエンSを改造した「カイエン・トランスシベリア」
26台を参加チームに引き渡すと同時に、トレーニングを催した。

「ここで会うとは思わなかった」
小川義文さんが素早く見付けたのはルネ・メッジだった。
「僕は、1984年のパリ・ダカールで、メッジが運転する959に
砂漠でブチ抜かれたんだ」

メッジは、1984年と86年のパリダカール・ラリーをポルシェ959
(84年は、「953」 というプロトタイプ名でエントリーされた)
で二度の総合優勝を果たしている。

また、昨年のダイムラー・クライスラーのイベント
「Eクラスエクスペリエンス パリ~北京2006」
のコースディレクターを務めていた。
メッジはティエリー・サビーヌ亡きあとの
パリダカール・ラリーの主催を引き継ぎ、運営に多大の貢献を果たした。

そして、日本の三菱商事が主催した1991年(直前にキャンセル)、
92年、95年のパリ北京ラリーのコースディレクターも務めている。
ラリーレイドと呼ばれる、パリ・ダカールやトランスシベリアのような
超長距離ラリーについて最も経験が深く、優れた手腕を有している人物だろう。

さすがにメッジは有名人だから、参加者やポルシェ、
トランスシベリアの主催者などから次々と握手を求められている。
しかし、いまここに集まっている他の49名はどんな人物なのだろうか。
「横に、ヒゲの太ったオジさんがいるでしょ。サイード・アルハジャリ。
彼も959で85年のファラオ・ラリーに優勝している」

アルハジャリは一回見たら決して忘れない“濃いぃ”顔付きをしている。
失礼ながら、ラリーカーを速く運転する姿が想像できない。
「いや、すごく速いんだ。そのファラオ・ラリーには僕も出ていたけど、驚かされたよ」

パリ・ダカやロンドン・シドニー・マラソンなどに出場した小川さんには、
因縁のある参加者が少なくない。

胸の名札を見る限りでも、WRCドライバーのアーミン・シュワルツ、
アメリカのパイクスピークスで有名なロッド・ミレンなど、
ラリーに疎い僕でも知っている面々が集まってきている。
こんなスゴそうな連中と、果たしてモスクワからウランバートルまでの
6500kmを14日間にもわたって競り合うなんてことができるのだろうか。
ちょっと不安になってきた。

しかし、プロやエキスパートばかりが参加者ではない。
各国のポルシェインポーターの社長やポルシェクラブの会長などもいる。
スペインチームのコ・ドライバーは、モータースポーツの経験はない代わりに、
世界に14ある8000メートル級の山の8つに登頂したふたり目の女性登山家で、
GPSを用いたナビゲーションの専門家だ。

トレーニングの期間中、
食事時などにお互いを自己紹介できた人たちとは知り合えることができた。

●特別に製作されたカイエンSトランスシベリア

トレーニングは、大きく3種類の内容に分けられた。
クルマの引き渡しとエントリー、クルマと装備の説明、
クルマの慣熟走行とシミュレーション走行だ。

カイエン・トランスシベリアは2シーター化され、
ロールバーが張り巡らされたラリーカーだが、
ドイツのナンバープレートが付いた普通乗用車でもある。
何枚もの書類に必要事項を記入し、登録する。
同時に、トランスシベリア・ラリーの主催者に
提出するエントリー用紙にも記入、提出。

ペーパーワークが終わると、ビジターセンター2階部分の外回廊で
僕らのカイエン・トランスシベリアを受け取った。
黒地にオレンジのアクセントも凛々しい「STS2613」である。

さっそく飛び乗って、走ってみたいところだが、まだプログラムが山積みされている。
再び、ホールに戻って、クルマの改造箇所と装備品について、
ユルゲン・ケルンからレクチュアを受ける。
ケルンの本職は工場でのカイエンの生産管理だが、
昨年のトランスシベリア・ラリーにカイエンSで出場し、見事、総合優勝を飾っている。

「カイエン・トランスシベリアはヴァイザッハで開発された耐久ラリー専用車だ。
特別なメインテナンスを必要とせずに、ラリーを走り切ることができるだろう。
ただ、そのためには慎重にコースを選び、丁寧に走ることが必要だ。
シリアスなアクシデントには我々が手を貸すこともできるが、
自分たちでできることは自分たちで行って欲しい。
そのための工具と道具が積んである」

アルミのツールボックス2個には、工具だけでなく、
折り畳み式のノコギリや斧、コップや皿までが詰め込まれている。
ラリーの後半、モンゴルでの一週間は毎晩キャンプだから、
テントも2張り積んである。

トレーニング2日目に、カイエン・トランスシベリアで走ることができた。
内張りと遮音材をすべてはがしてあるので、 エンジン音、タイヤの擦過音がうるさい。

ポルシェの敷地に隣り合う、旧東ドイツ陸軍訓練場でオフロード走行を行った。
ポルシェのインストラクターの指示に従って、凹凸路、急傾斜路、沼地などを走る。
彼らが参加者に認識させたかったのは、カイエンが備える4輪駆動システム「PTMS」に
慣れることだろう。
PTMSは、電子制御された最新の4輪駆動システムだから、ドライバーに
熟練したテクニックがなくてもほとんどの悪路を走破してしまうことはできる。
だが、副変速機やデフロックを、どんな状況で働かさせるかの判断までは、
経験していなければ選択できない。それを体験させておきたかったのだろう。

同じように、舗装のテストコースも、存分に走らされた。
2代目カイエンの目玉装備である、ロールを電子制御する
「PDCC」のオンオフをでの挙動の違いを確認しておくよう
インストラクターから命じられた。

そして、最終日には敷地外に出て、ラリーのシミュレートが行われた。
本番のラリーと同じようなルートブックが与えられ、
ガーミンのGPSと併用してチェックポイントを回りながら、
往復約200kmのコースを走る。

プロやエキスパートだから当然のことだが、
オフロードに入ってからの飛ばし方が普通じゃない。
2トン近いカイエン・トランスシベリアがポンポンと飛び跳ねてしまうような
凹凸の激しいところで、狂ったようにスパートしてきた
ポーランドチームに追い越された。

「ああいうのが、クルマを壊して、一番最初にリタイアするんだよ」
かつてパリ・ダカで、必要以上に飛ばした結果、
メカトラブルを誘発してリタイアせざるを得なかった自身の経験を語りながら、
小川さんは冷静さを保った。 
案の定、深い森の奥で道を誤り、スタックさせたのが1台、
険しい岩でタイヤをバーストさせたチームが1台あった。
「慣れているはずのドイツ郊外の200kmでスタックとバーストが1台ずつ。
事情のわからないロシアとモンゴルだったら、もっと悲惨なことになるよ」

ライプチヒでは、PTMSやPDCCの効き具合よりも、もっと重要なことを
トレーニングすることができた。
冷静に状況を見極め、素早く総合的に判断すれば、
道は開けるのだ、と。不安が少し解消された気がする。