第32回:8月30日「さらばロシア」(前編)



『10年10万キロストーリー4』刊行記念!

いろいろ苦労させられたサンクトペテルブルクともお別れ。
そして通訳のアレクセイともお別れになる。いよいよフェリーでドイツに向かう……。 
と思いきや、なかなか船に乗ることもできない。








■二人とのお別れ


朝7時10分前に「エアポートトランスポーテーション」のオジさんが来る。ホテルのオバちゃんに30ドル払って、迎えに来てくれるよう頼んでおいたのだ。もしかしたら、オバさんのダンナか?
アレクセイが、9時35分発のベラルーシ行きの飛行機に乗る。彼とは8日間の旅だったが、ここでお別れだ。オジさんのクルマは、よく見るODAの5ドアハッチバック。相当に使い込んでいるようだ。
「最初は、120km/h以上で走り続けるので怖かったけど、ジェットコースターみたいですぐに面白くなった」
アレクセイは言った。

自分で卵を茹で、パンを焼いて朝食を摂る。9時までに、オバちゃんがホテルにやってくる来る。彼女は“通い”なのだ。
ラジソンホテルで残りの送稿を行う。サンクトペテルブルク市内のローミング先に20分弱つなげて16ルーブル(約64円)と、今日はなぜか昨日、一昨日よりも格段に安かった。
その後荷物を片付け、カルディナを取りに行く。チェックアウト。高岡の100円ショップで買った扇子を1本お礼にあげたら、オバちゃんは喜んでくれ、抱きつかれた。






■フェリーに乗り込む

川沿いを海の際まで下り、昨日下見しておいた通りにフェリー乗り場へ。乗り場の外にある、コンテナを再生したような「バルティック・トランスポート・システム」の詰め所に向かう。ここで港への入場許可証を受け取る。
港といっても、すこしもロマンチックなところはない。鉄屑や石炭を船から引き込み線へ積み込んだり、反対に原木を積み込むトレーラーが行き来している。無彩色で殺風景なところだ。
警備員に教わりながら、「バルティック・トランスポート・システム」の事務所に辿り着く。事務所といっても、ここも同じコンテナを積み上げたものが何棟かある中のひとつに過ぎない。他の船会社や税関までもが、コンテナをリサイクルして使っている。

ナターシャというロシア人にしては例外的に愛想のいい若い女性職員がでてきた。クラスノヤルスク・ホテルでファクシミリで受け取った予約票を差し出し、フレイト(貨物運送)チケットを受け取る。一度事務所を出て、一緒に税関まで付き合ってくれ、書類手続きなどを手伝ってくれる優しさに、僕らは感激。ここでも 100円扇子プレゼント作戦に出て、喜ばれる。事務所内で、コーヒーとケーキまで振る舞ってくれた。
ドイツ・リューベックまでの3泊4日料金は、カルディナ400ユーロ、人間ひとり255ユーロで合計910ユーロ(約11万8千円)だが、支払いはリューベックに着いてからという。


■散歩もできない

12時過ぎに書類手続きは完了したが、乗船は18時過ぎ。港に停めたカルディナの中で待つしかない。税関手続きが終わった以上、ここはもうロシアではないので市内に戻ることは許されない。ナターシャに訊いても、港構内にはカフェや売店などはないという。
「トランスフィンランディア号」からは、リューベックから乗ってきたクルマやトラックがまだ下ろされる兆候もない。カメラマンの田丸さんが持ってきた釣り具のルアーが見付からず、他にヒマの潰しようもない。雨も降ってきたので、車内で読書するも眠くなり、狭い空間に飽きてくる。
何度も周辺を散歩するが、広い港と言えども、荷物の積み卸し現場や保税エリアはいずれも立ち入り禁止だから、あまり出歩くスペースは広くない。肩から、使い込んだカラシニコフをぶらさげた警備員が何人も巡回しているから、うかつにヘンなところに迷い込んで誤解されたら命の保証すらない。

(文=金子浩久/写真=田丸瑞穂/2003年8月初出)