第33回:8月30日「さらばロシア」(後編)



『10年10万キロストーリー4』刊行記念!

船は来たもののなかなか乗船できない。ようやく乗船できたと思ったら、
今度は出航しない。暇な時間をもてあそぶ二人。








■乗船開始


われわれが乗る「トランスフィンランディア号」から、リューベックから来たトレーラーなどの下船がほぼ終了しても、すぐに乗船が始まらない。予定の18時になっても、乗り込む気配がない。ナターシャに訊ねても、わからないと言う。
その代わり、リューベックから来たトラックドライバーや、リューベックから来たトレーラーの荷物部分だけを受け取りに来たサンクトペテルブルグのトラックドライバーたちが、書類を手にして船会社と税関のコンテナの間を慌ただしく動き回っている。ロシア人がこんなに忙しくしているのは、初めて見た。

7時30分過ぎに、赤いツナギを来た港の職員が、こっちを見て、「行くぞっ」と合図してくれた。乗船開始だ。
「トランスフィンランディア号」の乗り口は、とても広大だ。
勢いよく乗り込もうとしたら、グリーンの制服を着た、味噌っ歯の女性税関職員が制止する。カルディナのナンバープレートと自分のリストを見比べながら、首を傾げている。“練馬”と“ま”の文字が読めないのだから仕方がない。文字を教えてやると、今度は「パスポートを出せ」という。
広大な荷台にカルディナを停め、荷物を出して客室へ向かう。船体側面内の細い階段を6階分ぐらい駆け上がり、船首方向へ長い廊下を渡っていくと、そこは食堂だった。小綺麗で、落ち着いた調度だ。
「オオッ、さすがドイツの船。ヤルじゃん」と、喜んでいると、チャールズ・ブロンソン似のオヤジが出てきて、「フレイトチケットとパスポートを見せてください」。レセプションも兼ねている。
ナターシャから渡されたチケットを渡し、「パスポートはカスタムが持っている」。
ブロンソンは、部屋の鍵を1本づつ渡してくれる。






■おいしい食事

「ちゃんと、個室があるんだ!」
僕らは、最悪の場合、スコボロディノからのシベリア鉄道に乗った時のように、カルディナに3泊しなければならないことも覚悟していたのだ。それというのも、27日にヴァシリスキー島のBTS(バルティック・トランスポート・システム)オフィスに料金を払いにいった時に、「(3日後の)水曜日の船だったら、同じ料金で快適だよ」と聞いていたからだ。
港から見るフィンランディア号のデッキに窓はなく、あるのは小さなキャビン部分だけで、それは客室ではなく操縦室なのかもしれないとも考えていた。RUS号には、もっとたくさん窓があった。
だから、食堂からさらに1階上がったフロアの1号室の鍵を開けた時の喜びは、とても大きかった。伏木から乗ったRUS号の2段ベッド4人部屋よりも広く、清潔だ。原稿を書くのに十分な広さの机まで備わっている。
クローゼットや引き出しなども各種充実しているのもありがたい。荷物を置き、食事時間を訊ねに行く。
「ナウッ!」

ぶっきらぼうなブロンソンの後ろには、東南アジア系の顔つきをした少年が、ウィンナーシュニッツェルがたくさん盛られた大皿を運んできた。サラダ、チーズ、パン等々、選べないが充実している。味もよい。
食事に降りてきた顔ぶれは、僕らの他に4人のトラックドライバー。ひとりだけドイツ人ぽい。ベックスビールの小瓶を4本頼み、7ユーロ(約910円)。食事は、すべて料金に含まれているので、ビール代のみ。
本格的なサウナがあるのは助かるが、食後はやることがない。食堂のテレビでは、トラックドライバーたちが、ビデオでジャッキー・チェンの警官もの映画を見ている。バーやサロンもあるが、客が少ないのでシャッターが降りていて使えない。


■相変わらずのワイロ

一度部屋に戻ったら、しばらくしてブロンソンが端からドアをノックしていく。開けると、「イミグレーション!」と階下を指差している。
伏木の「RUS号」と同じように、さっきとは違う税関職員3人がサロンのテーブルを前にして、客のパスポートを調べている。僕らの写真を照合するだけで、特に質問はなし。職員たちが帰ろうとすると、一緒に来たBTS社員が職員の鞄に酒瓶を2、3本づつ入れていく。どう見たって、ワイロだ。職員は、北朝鮮幹部のようなひさしが強く反り上がった帽子を被り直して出ていった。

いよいよ出航かと期待したが、いつまで経っても船は出ない。シャワーを浴び、ベッドに潜り込んだ10時過ぎにも動き出す気配はとうとうなかった。

(文=金子浩久/写真=田丸瑞穂/2003年8月初出)