第24回:8月23日「最長距離! 走行」



『10年10万キロストーリー4』刊行記念!

ホイールバランスも調整し、快適なドライブになるかと思いきや、
ウォッシャー液切れでフロントガラスが汚れてきた。
そんなカルディナで行く、今回はノヴォシビールスクからのドライブ篇。






■窓の汚れとロードノイズに耐える


朝、走り出す前にフロントガラスにこびり付いた虫の死骸を、東京から持参したキッチンペーパーを湿らせ、石鹸を擦りつけて拭き取る。昨日の走行中にウインドウォッシャー液を使い果たし、その後給水できるところがなかったためだ。ここまでのロシアのガソリンスタンドでは、ただガソリンや軽油を給油するだけで、日本のように空気圧チェックや洗車などはできない。両替所にあるような小さな窓口から紙幣を差し出し、口頭でオクタン価と、5リッター刻みの分量を告げるだけだ。

幹線道路「M51」をオムスク方面へ。昨日と変わって路面は簡易舗装で、ロードノイズが大きく、乗り心地が悪い。初めてリアシートに座ってみる。ダンパー交換の効果は、前席よりもこちらの方が著しい。4時過ぎに通過したオムスクの町中で何度か道を間違え、往生した。貧弱な道路標識のせいだ。


■停止命令

街を抜けたところの交通検問所で停められた。テールゲートを開けるよう命じられ、荷物を下ろさせられた。
「三角表示板は持っているのか?」
「いいえ。日本に置いてきました」
「救急セットは?」
「これです」
と、苦し紛れに、バンドエイドの箱とともに正露丸やキンカン、葛根湯、入浴剤“草津の湯”など、なるべく漢字が多く書かれているパッケージを見せたが、ダメだった。

「ちょっと中まで来い!」
検問所の中に、運転していたカメラマンの田丸さんと通訳のアレクセイさんが連行され、僕はクルマに留まる。すぐに田丸さんがニヤニヤしながら小走りに戻ってきた。
「ステッカー、ステッカー。それで、オッケーだって」
あらかじめ荷物を見ておいて、持っていなさそうな三角表示板だの、救急セットだのと難クセを付けてきたのは、ステッカーが欲しかっただけなのか。なあんだ、だったら先にそう言ってくれればハナシは早いのに。
「『違反だから、罰金取るけどいいか?』って、3回繰り返したから、あっ、これはワイロが欲しいんだなと思ったから、『お金は払えませんけど、代わりにステッカーを差し上げましょうか?』って、テイアンしたんです」(アレクセイ)
「フェロード・ブレーキパッド」と「モチュール・エンジンオイル」のステッカーを1枚ずつ進呈。




■もうすこし行ってみよう

午後7時過ぎにイシムの街に到着した。陽はまだ高く、道も悪くない。明日を楽にするため、もう200kmぐらい走ることにした。ガソリンスタンドや電話などを示す道端の標識のなかに、宿泊施設を示すものが頻出するようになったのも判断理由のひとつだ。すこし安心できる。
イシムは大きな街だから、ホテルのマークも地図に記してある。確実に泊まれることを選ぶならイシム止まりだが、なんとなく行けそうな感じがしたので、もうすこし走ることに決定した。

ちょうど220kmぐらい走ったところのヤルトロフスクという小さな街の入り口に“宿泊施設あり”の標識を見付ける。そこは、陶器工場がひとつあるくらいの小さな街だったが、雑居ビルの中にホテルがあった。午後10時前にチェックイン。250ルーブル(トイレ付き)×2+180ルーブル(トイレなし)で、 3人分合計680ルーブル(約2720円)だ。
「シャワーの使用はひとり1回15ルーブル。使用の2時間前に申し込むように」と言われた。2時間前だなんて、これから山に薪でも取りに行くのか!ここにも、べらぼうなことを平然と客に言ってのけるオバさんがいた。ソ連時代からずっとこうやってきて、変わらないのだろう。

泊まった部屋は狭く、汚かった。
1 軒あるというレストランに行くと、貸し切り中だった。結婚披露宴をやっているようだ。そこで、教わった「M51」号線沿いのカフェに行く。期待はしていなかったのだが、カザフスタン風自家製炭焼き串焼き肉(要はバーベキュー)が、案外うまかった。この辺りはカザフスタンが近く、ロードサイドのカフェでは、どこも店の脇に炭焼き小屋を建ててモクモク焼いていた。

追加の220kmが効いて、結局今日はこれまでで最も長い1256kmを走った。

(文=金子浩久/写真=田丸瑞穂/2003年8月初出)