第10回:8月10日「列車から、再び道路へ」



『10年10万キロストーリー4』刊行記念!

1996年型「トヨタ・カルディナCZ」で目指す、ユーラシア大陸横断。ハバロフスクからスコヴォロジノまでの悪路に辟易し、しばしシベリア鉄道の旅。チタにて。


■ ちょっとだけ後をひく

外が明るくなり、雨が降っている。午前9時ごろに停車した途中駅で外に降りてみると、昨日出発したスコヴォロジノ駅では2両だったはずのコンテナが、いつの間にか10両以上連なっている。夜中に停車した駅で、連結されたのだ。
「コンテナに人を乗せてはいけないことになっているから、扉を開けるな」なんて車掌の“エミネム”は神経質になっていたけど、こんなに長い列車じゃバレバレじゃん。日本も他国のヒトのことをあまりいえないけど、ことロシアでは、法律や規則よりも、現実、現場の判断の方がはるかに先行している。

午後0時38分に、ほぼ定刻通りにシュルカ駅到着。列車から、積み込んだ逆の順序でカルディナを降ろす。“高橋由伸”や“エミネム”、社長、初老夫妻等々、たった18時間とはいえ狭い空間で一緒に過ごした人々との別れに、ちょっとだけ気持ちが後を引く。“高橋由伸”似のトラックドライバーは、「困ったことがあったら電話くれ」と、番号を教えてくれた。


■ 難所を越える

すこしだけダートを走り、あとはチタまで舗装路だったので大安心。
チタ。
この地名を、何度反芻したことだろうか。「ロシア極東地方には道が途切れている区間がある。それはブラゴヴェンチェンスク~チタ間だ」
この旅を計画してから、様々な人から教えられ、情報源で眼にしてきた。その区間はクルマを列車に載せるか、なんとか走るか。いずれにせよ、難所であることに変わりはない。だから、チタに到着するということは、難所をひとつ越えたことを意味するのだ。

ところが、僕らの場合は事前情報とはずいぶん違っていて、ブラゴヴェンチェンスクの手前からハードな極悪ダートロードに待ち構えられてしまった。でも、そんなことをも含めても、チタまでやって来ることができて、すこしの満足感がある。

■ なんとなく暗い街

チタは、ちょっとした大きさのある街だが、雰囲気がなんとなく暗い。
ボランディアで同行通訳をかって出てくれたイーゴリさんは、理科系でもないのに、いろんな数字をよく憶えていて、たとえば「ココノじんこうハ、サンジュ・ロックマンニンです」とガイドしてくれる。で、チタの人口は……、聞いたかもしれないけど、忘れちゃった。

「ハルビン・カフェ」という、ちょっと高級そうな中華料理店の上の古いビルにあるホテルにチェックイン。シングルルーム、ひとり700ルーブル(約2800円)。バスタブがあるけど、お湯は全員出なかった。

ハルビン・カフェの料理は、素材と調理はいいのだけど、味付けが塩辛く、量が多い。
奥のテーブルでロシア人と中国人10数人の、おそらく会社員同士と思われる宴会が始まっていて、途中から店内は彼らのディスコタイムに変身。ほかの客が何組も静かに食事を楽しんでいるというのに、フロアの中心で踊りまくるのである。うるさいし、ホコリもたつし大迷惑。“部長”っぽいオヤジが奇声を上げて踊る姿は、見ている方が恥ずかしくなる。でも、ふたりだけ踊りのうまい女性がいて、見ていて飽きなかったから、ま、いっか。

(文=金子浩久/写真=田丸瑞穂/2003年8月初出)