第21回:8月20日「お盆を想う」



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日本ではお盆のこの時期。「遠く離れたロシアでは関係なし」と思っていたが、
イーゴリさんに連れられて、とある日本人の方々と会う。
日本とロシアの過去のできごとを考えることに。






■シベリア慰霊墓参団


午前10時にアクチャーブリスカヤ・ホテルに向かう。クラスノヤルスクに自宅がある、通訳のイーゴリさんと待ち合わせるのだ。
3 日ぶりに会ったイーゴリさんから、ホテルに宿泊中の、日本からの人々を紹介される。彼らは「シベリア慰霊墓参団」だという。終戦後、捕虜としてソ連軍に抑留され、亡くなった家族のために、日本から墓参りと植樹、交流に来た。イーゴリさんは自分の研究テーマと重なることもあり、数年前から彼らの手伝いをボランティアとして行っている。

ソ連時代は墓地がどこにあるのかという情報すら自由にならなかったが、ソ連崩壊後、徐々に明らかになっていった。平成3年に第1回目の墓参が行われて以来、続いている。父親や夫、兄弟などを亡くした9人が今回は日本から参加している。何カ所もの墓参を行い、桜の樹を植え、盆踊りで地元の人々と交流する。










■異国でのお墓参り

バスでホテルを出発し、クラスノヤルスク郊外の山の中にある共同墓地に埋葬されている霊を見舞った。

「それまでも交渉を続けていましたが、“遺族が来るのなら資料を出す”と、平成12年に元KGB職員から場所を特定する資料を受け取り、ここに埋葬されていることが判明しました」(団長の村田みつさん)

ロシア人の墓は立派な墓石のものが多いが、日本人のそれは数字が記された小さな鉄製のプレートだけだ。清掃し、供物を備え、日本からあらかじめ送って、クラスノヤルスクの植物園で生育させておいたベニヤマザクラを10本植える。追悼の言葉が読み上げられ、線香を備え、僕らも合掌する。

「父は 1945年9月26日に満州でソ連人によって連行され、他の方々と一緒にクラスノヤルスクの収容所に入りました。当時、私は3歳なので何も憶えていません。生前の父からの報せは何もありませんでした。1947年に厚生省から死亡通知があっただけです。以前はとても悔しい想いを抱いていましたが、墓をつくることができ、他のロシア人と一緒に埋葬されており、父も安らかに眠っていることでしょう。今では、感謝しています」(岡田祇子さん)

僕も子供の頃は家でお盆の行事を行っていたが、最近ではやらなくなってしまっている。日本を遠く離れた旅行中だったが、思いがけずお盆らしいひとときを過ごすことができた。

(文=金子浩久/写真=田丸瑞穂/2003年8月初出)